はな to つき

花鳥風月

桜の下にて、面影を(34)

2019-10-20 18:30:06 | 【桜の下にて、面影を】
そんな、苗雅というカリスマに、長所という長所をすべて吸い取られた成れの果てのような二寂の、哀切を極めた無駄話が展開されていた頃、西行の『さ』の字も興味がないといった男衆を前にした二葉の、生涯初となる研究発表が、有終の美を迎えようとしていた。
「ご静聴、ありがとうございました」
どんな授業でも聞いたことがほどの拍手喝采が湧き上がる、男臭で充満した教室では、発表内容そっちのけで、恍惚としただらしのない面貌を晒した男衆からの声に、
小町一人がカーテンコールで応えていた。
あまりの迫力に、恐怖さえ覚えてしまいそうな紅一点を護衛すべく、交通整理兼司会担当の寂念が、機敏に壇上へと駆け上がる。
先ほどまで、先輩の面子丸潰れのような醜態を晒していたこの男、実はこう見えて、相当のスポーツマンなのである。
それはさておき、お嬢様育ちの二葉とて、この反響の意味するものが理解できないほど、能天気なお姫様ではない。
この喝采が何に対するものなのか、それが十全と発表内容に向けられているものでないことくらいは、肌で感じる取ることができる。
衛兵に扮した寂念とて同じことで、この異様な盛り上がりの正体が、一発表者としては、決して喜ばしいものでないことは分かっている。
だからこそ、二葉の心境を慮ることもできる。
可能であれば、今方彼女がどのような内容の発表をしていたのかを、無作為に選んだ数人に、そのさわりだけでも言わせてみたいくらいなものだと思っていた。
「ええ、それでは、ここで休憩時間を取らせていただきます。休憩を挟んだ次の発表者は、住友苗雅となります。開始時間は三十分後、十四時ちょうどからとさせていただきます。ご退室なさる方は、教室前方の扉からお願い致します。後方の扉は入口となりますので、くれぐれもお間違いのないようお願い致します。また、ご退室の際は、忘れ物をなさらぬようお気をつけください。なお、ただいま発表を致しました白駒より、直筆の短冊をお配りさせていただきますので、ご所望の方は、出口にて白駒本人よりお受け取りいただきますようお願い致します」
憧れの君との接近遭遇、しかも直筆の短冊プレゼント付き。
教室中が唸りを上げる。アイドルのライブ会場顔負けだ。
そこで、まだアナウンスは終了していませんと言わんばかりの絶妙なタイミングで、
絶叫教室にマイクが割って入る。
そして寂念は、策士寂超によって緻密に計算された台本どおりに、最後の一文を付加する。
「予期せぬ事故等の発生で、学園祭の中止といような由々しき事態に陥らないためにも、くれぐれも、ご退室の際は『握手など求めないよう』お願い致します」
絶叫が怒号に変わる。大ブーイングである。
それは、想定内である。
「ご協力をお願いいたします」
被せるような姫君からの一言で、ジ・エンドである。
骨抜き状態である。
すると、どこかの体育会系部活動に所属していると思われる、屈強なジャージ男子三名が、敏捷なステップで階段教室を駆け下りてきた。
まるで立ち位置が決まっていたかのごとく、出口横に置かれた長テーブルの両端と中央に、仁王立ちする。
寂念など、足下にも及ばないほどの本物の護衛誕生である。
それは、想定外である。
しかしそのおかげで、流れるような退室の導線が、期せずしてできあがった。
「ありがとうござました。ありがとうございました」
寂念にガードされ、大切にエスコートされた姫君は、今度は、筋骨隆々体育会系男子を従えて、長テーブル越しに、短冊を一枚一枚丁寧に手渡す作業に追われる。
終始笑顔を崩さないところは、自分の責務として肝に命じているのであろう。
男衆は、メロメロである。
「とっても、かわいかったです!」「次も、見に来ます!」「これからもがんばってください!」「応援しています!」
アイドル以上に、アイドルである。
体育会系護衛男子がいなかったら、本当に危険な状況に陥っていたかもしれないと思わせるほどの熱狂ぶりである。
が、その反面、実はそれも杞憂なのかもしれないと思わせるくらいに、整然と列を成して待つ絵面は、一種壮観な図でもあった。
「住友先輩」
「はい、何でございましょう」
見慣れない黒髪女性と立ち話をしていた苗雅に、恐縮そうに寂超が声をかける。
「白駒さんの発表が終わったようなので、いよいよ次は先輩の発表となります」
「そうですか。承知いたしました」
「あ、でも、まだこれから会場の入れ替えをしますので、そのままお二人で、お話を続けていただいていて大丈夫です。この辺りで、ちょっと待っていてもらってよろしいでしょうか?」
そう言って、観音開きの扉が全開にされたばかりの出口付近へと二人を誘導した。
「ちなみに先輩、そちらは、お知り合いの方でいらっしゃいますか?」
「なぜ、そう思われたのでしょうか?」
「ええっと、確か『苗雅の会』にはいらっしゃらなかった方のようにお見受けするのですが、そのわりにどこかお親しい感じがしたもので」
「相変わらず鋭いですね、寂超さんは。そうなのです、昔からの馴染みの方なのです。折角ですから紹介をさせていただきましょう。こちらは、六条さんです」
苗雅は、左に立つやたらと透明感のある、二葉とはまた、ずいぶんとタイプの違う麗人の前に手を伸ばしながら、スマートに紹介した。
「はじめまして。六条と申します」
「あ、はじめまして。僕は、寂超といいます」
美女に失礼があってはならぬとばかり、苗雅からの紹介も待たず、すかさず自己紹介をした。
「寂超さんと仰るのですか。この研究会にぴったりのお名前ですね」
透き通るような眼差しで寂超を捉えながら言う。
「え、ああ、寂超というのは法名のようなものでして、本名は為原不二恒(ためはらふじつね)といいます。今二年生です。もしかして、六条さんも西行にお詳しいのですか?」
「どうしてそう思われるのですか?」
「いえ、今、『この研究会にぴったり』だと仰ったので」
「そうでしたね。そう申しましたね。ええ、彼のことはとても興味深い人物だと思っています。なので、少しだけですけれど、歌を詠んだりしています」
「そうでしたか。それで寂超のこともすぐに分かったのですね」
「ええ、常盤三寂(ときわさんじゃく)の寂超さんですよね?」
「はい、と自分でいうのも何ですが、そうなのです。ちなみに、僕の一つ上の先輩に、寂念という本当の兄のような人もいます」
「そうなのですか。それは面白いですね」
「この寂念さんがちょっと風変わりな人でして、後ほどご紹介させていただければと思うのですが、見た目はいたって一般的なのですが、中身がとても印象的なんです」
昨年までの寂超であれば、これほどまでに女性と、しかも見目麗しい女性と、すぐに話などできなかったはずだが、何しろ大学小町とほとんど毎日顔を合わせるようになったこの半年で、すっかり免疫は出来上がっていた。
とはいえ、その後輩相手に、未だ敬語混じりの話し方しかできないところは、寂超らしいのだが。
「それは、ぜひお会いしてみたいですね。今、どちらにいらっしゃるのですか?」
「今は教室の中で交通整理をしている真っ最中なので、ひと段落したらお目通しさせていただきます」
「はい、それでは楽しみにしていますね」
「了解致しました。それでは後ほどということで。あ、そう言えば、六条さんというお名前も、我が研究会にはとても所縁がありますよね?」
「それを言うなら、寂超さんの本名、組み合わせが絶妙だと思いますよ」
「為原不二恒の組み合わせ?」
六条の言うことに、まるで察しがつかないといった顔で寂超は、黙って二人のやりとりを見ていた苗雅に向き直り、この場で待っていてもらうことを念押しして、教室の中へと入っていった。

(つづく)

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