さらには、”陽キャ”の方が”陰キャ”より上という暗黙の了解的な雰囲気さえ感じられます。
これは、”陽キャ”の方が、周りへの印象が良いという所から始まっていると思うのですが、実のところ「好印象な人」=「良い人」とは限らないんですよね。
”見せている姿”と”人間性”は別次元の話だし、現に社交性のない詐欺師なんていないでしょう。
ということで、今回は、この”陽キャ”と”陰キャ”という認識の本質について考えて行きます。
昔、「1年生になったぁら~、友達100人できるかなぁ~♪」という歌がありました。
新入学児は今の時代も、この歌ってるんですかね?
さて、ここで問題です。
この友達100人は、どうやってできるのでしょうか?
実は、答えが人によって別れます。
「友達になる」という人
「友達を作る」という人
どちらが正解とか、どちらが良いということではなく、単に性格の違いです。
この違いは、心理学では「外向性」「内向性」という言葉で説明されます。
”陽キャ”、”陰キャ”という呼ばれる違いは、この部分だったりします。
「外向性」
・・・興味が、自分の外側にある心のあり方。
「友達になる」という感覚は、他者との関係の変化を感受している。
「内向性」
・・・興味が、自分の内側にある心のあり方。
「友達を作る」という感覚は、他者との関係の構築を意識している。
心理学上で言う「外向性」と「内向性」は、1本の線の両端に存在し、中心からどちらにどれくらい振れるかで、その割合が変動します。
その割合が、その人の心のあり方です。
また、「外向性」と「内向性」は興味(意識している対象)が違うため、その割合から導かれる思考は自然と異なる結論を生み出します。
そうして表に現わされた行動は、その人の個性として周囲に認知されます。
”陽キャ”、“陰キャ”という言葉も、人の個性をイメージしたものですが、以前は”外向的”、”内向的”という言葉が使われていました。
いずれにしろ、心理学上で意図された意味ではなく、言葉が持つイメージのみが一般化されてしまったようです。
故に、この言葉は、表に見えるその人のイメージに貼るためのレッテルに過ぎず、この言葉を使う人は、その人の本質(個性)を分かろうとしていない人です。
”陽キャ”が”陰キャ”より上という認識に至っては、人を見誤る元でしかなく、そんな言葉のイメージに囚われてやる必要は全くないのです。
問題なのは、「内向性」がそのあり方の中に、人間関係のトラブルとなる要因を抱えていること。
「外向性」寄りの人は、普段から周囲の人に意識があるので、自分を伝えるという行為が自然にできます。
「内向性」寄りの人は、そもそも周囲の人に興味を持たないので、自分を伝えようという考えが生じません。
そして人間は、知らないもの、分からないものを恐れる生き物。
自分を伝えることが無いという状態は、周囲の人に負の感情(不安や不満)を抱かせる事になります。
そうして抱かせたマイナス感情の蓄積が、何らかのきっかけで人間関係のトラブルへと変貌する要因になってしまうんです。
実は、レッテル貼りとは、それにより相手を分かった気になることで、安心を得ようとする行為だったりします。
そうならない為には、まずは内向性の程度を緩めて、自分から周囲の人に興味を持つこと。
「外向性」の割合を増やせば、自分のことが周りに伝わるような行動が自然と取れるよう、心の作りがなっています。
つまり、「自分を変えることで、周囲が変わる」というメカニズムが、心にはあるということですね。
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