二人の対談形式で、相手の方も理解できるとの話しだったので、実際そういう側面があるんでしょう。
素人の私には、ちと難しすぎて、どうもピンと来ませんでした。
ただ、戦時下に似ていると言われて、なるほどと思ったのは、「自粛警察」と言われる人達の存在です。
彼らは、自分の正義をもって、自主的に、考えが違う人達にプレシャーを与えて行きます。
この動きが大きくなると、社会的な見えない権力となって行くのですが、実はこれは戦前の全体主義的な社会と同じなんです。
いわゆる「非国民」に象徴される社会ですね。
つまり、今回もマスコミが国民の感情を煽り、世論を扇動して、全体主義を復活させようとしていたという事になります。
いつの時代になっても、こうした作られた正義に日本人は乗せられやすいんだなぁと思った次第です。
コロナ禍で、ロックダウン(都市封鎖)をした国があります。
それは、国家権力が国民を統制できているという事であり、ひいては”戦争ができる国”であるという証なんです。
逆に日本は、コロナ禍で、ただひたすらに国民に自粛を求めるのみでした。
確かにソコまでの状況にはなかったとも言えますし、国民の自主性で対応できた事を美談として語られたりもしています。
しかし、裏を返せば、国民任せで、政府が責任を取り切れていないとも言えるんです。
先日、米国の歴史的な外交により、中東アラブの力の均衡が図られ、そちらの対応に追われるという自体はしばらくは無いと思われます。
つまり、米国は確実に、米中戦争の準備を進めているという事です。
さらには、平和憲法に隠れて日米安全保障条約に寄生する日本を切り捨てるべきだという意見が、米国でニュースになっています。
国家権力による国民統制をしない(できない?)国が、これから来るであろう戦時下という荒波に放り出された時、どう対処していくのか見物ですね。
・・・等と書いていて、ふと、ある考えに行き当たりました。
もしかしたら戦前も、日本政府は国民を統制出来ておらず、国民の自主的な動きに頼っていた部分が大きかったんじゃないか?ということです。
先の大戦時、マスコミの扇動の下に、日本国民は正義感に駆られ、全体主義的な傾向を強めて戦争に突入していったと言われています。
つまり、強い国家権力に対しては国民は反発するのですが、弱い政府に対しては国民が義憤を感じ、より先鋭的に動き出すのでは?ということです。
もしそうだとすると、戦前と同じ様な事が現代でも繰り返されそうな気がして来ました。
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