お腹いっぱいご飯をゆっくり食べれるって幸せなことだよね。
恐怖などに縛られてる時には、逃げる事しか頭には無いから、たまにゆっくり白いご飯に崎陽軒のシュウマイとか食べれる度に震災を思い出す。
震災時は二晩くらいマトモに食事ができなくて、親戚の家でも食べれるのは冷たい缶詰とかだけだったし。
温かい食事って言ってもレトルトカレーだったしね。
電気が復旧するまでは電気の代わりにランプを囲んで食事して、暗くなったら寝る。
寝る時間が非常に多い毎日で、毎日の新聞の犠牲者名簿に知り合いの名前が無いかどうかを探すくらいしか楽しみなかったし。
電気が復旧する頃には、瓦礫やヘドロでいっぱいだった道も通れる様になってて、やっと逃げた場所に置いてた車を取りに行けた。
車を取り戻せてからは、家財道具探し。
地震+津波で家があった場所は海抜が低かったから水没してた。
だから、とりあえず色々と行って自分の物が何か見つからないか探したけど、見つけたのはリラックマのぬいぐるみ一つ、スウェット上下だけだった。
命の代わりにその他全て失った。
その喪失感は今も埋まらない。
そりゃそうだ。
自分の家が無くなるという事は、数少ない自分の居場所を失くすということ。
だから、仮設住宅でも今現在住んでる団地も尻が落ち着かないでいる。
それがなぜか考えてみた。そしたら答えは簡単だった。
全部他人から貰って使ってるから、自分の物が少なすぎて、どこに居ても他人の家に居る気分になるから落ち着かない。
でも、最近やっと落ち着ける場所を見つけた。
それは、寝床に使ってる室内用テントの中。
テントの中だけは心が解れていくのが分かる。
そこだけは私一人の空間で誰も邪魔は入らない。
あれから何年目だっけ?
やっと尻に違和感のナイ場所を見つけた。
それでも、発作は頻発するし嫌な夢も見る。
怖くて1日ずっと怯えてる日もある。
なんでこんな病気になったか?
引き金は中学生時代のイジメに間違いはナイ。
その時の家族の対応も影響している。
でもね、うつで通院してる人でも治る人と治らない人が居るけど、なんでかな?
私は治らない人。
何が悪くて治らないのかわからない。
未だに薬を飲まなきゃ眠れない。
だから、薬が無くなってしまうのが何よりも怖い。
いつも、早めに病院ヘ行く。
今はもう死のうとか思うことが減ったから月一の通院だけど、行くのがしんどい日もある。
更にそんなしんどい日に生理が重なると、意識があるのか無いのかわからない。
治したい。
毎晩13錠の眠剤を飲まなくても熟睡できる日々を手に入れたい。
目覚める寸前に、意識がはっきりする寸前に恐怖が割込む毎朝はしんどい。
でも、見た目は普通、むしろ感情を表に出さない人間と周りからは思われてるらしいから、理解を得るまでに時間がかかる。
私は感情を抑えてるつもりは毛頭ないのに。
もう少しで23時。
日付けが変わる前に眠れるかな?