絵とあらすじで綴る 戦禍の子
第1話 *ウサギのサンダル*
あらすじ
1945年、一発の原子爆弾がヒロシマに投下された。
巨大なきのこ雲の下に「原爆地獄」が出現した。
あたしは自分の身体を見下ろしたまま、じっと宙に浮かんでいる…
その時、無残な姿で横たわるあたしの体の中から、白い靄が流れ出し
見る間に人の形になりどこかへ消えてしまった…
あたしはその後を追いかけ不思議な世界に迷い込んでしまった。
気がつくと、強い風が吹き付ける小高い丘の上に一人立っていた。
全く見知らぬ場所だ…
真っ白いワンピースにウサギのサンダル腰までとどく長い髪。それがあたしを語るすべて
あたしが最後に見たビジョン… 原爆地獄の壮絶な記憶が甦る…
記憶の中に深く刻み込まれた恐怖が黒い影となって追いかけてくる…
概要 時代背景 話の舞台 広島 比治山
比治山(ひじやま)は、広島市の南に位置する標高およそ70mの小高い丘です。ここが第
1話 ウサギのサンダルの舞台です。
少女の身体を抜け出した魂は、原爆投下直後のヒロシマの街を通り抜け、
比治山に向かい飛んでゆきました。そして不思議な世界に迷い込みます。
そこには緑豊かな比治山の姿がありました。
しかし、全ての記憶を失った少女には、全く見知らぬ場所に見えたのです。
少女の心象風景が映し出した幻なのか…
1945年人類初の原子爆弾がヒロシマに投下された。
人類と「核」のカルマの渦に巻き込まれてゆく…
死んだらそれであたしは消えたのか?終わりなのか…
ここから「戦禍の子」の物語が始まります。
「戦禍の子」1話 本編
http://blogs.yahoo.co.jp/jycdd435/folder/329700.html
【今思う事…】
原発の様々な問題3.11(原発震災の被害)に及ぶまでの原発の歴史を、原発発祥の原点に帰り
『原発の真実』をおさらいしてみたいと思います。
1945年 ヒロシマ、ナガサキに原子爆弾が投下され終戦を迎えました。
日本は敗戦後、憲法7条を高らかに掲げ、非核三原則を宣言しました。
しかし現実には、国策の庇護の下〔核の平和利用〕=〔原発開発〕として、国民の目を欺
き続け、しらぬ間に商業原発は増殖し続けてきました。
知らない方が多いのですが、、岡山、鳥取の県境 「人形峠」から原発の歴史が始まった
のです。
1954年日本の原子力開発が始まり、岡山、鳥取の県境『人形峠』に最初の施設が作
られました。動燃の前身である原燃です。
1955年ウラン鉱床が発見され、採掘が始まり、1967年膨大な放射性ウラン残土を野ざ
らしにしたまま閉山。
閉山後、わずか二十世帯、100人の村人のうち、11人が癌で死亡(全国平均の約26
倍)にものぼる。
ただ、放射能が原因であるとはまだ誰も考えていなかったのだ。
そこでのウラン鉱石の採掘により、1958年 人形峠で、鉱山の抗夫、原燃職員が、
放射能汚染を訴える。
その後、1988年『人形峠ウラン残土問題発覚』、1989年『ウラン残土全面撤去』を
求める訴訟を起こす。2004年結審。榎本さん勝訴
参考書籍 『人形峠ウラン公害ドキュメント』
榎本益美/著 小出裕章=解説 北斗出版 1995年
『人形峠、人類の未来』
土井淑平/著 図書新聞 1990年
そして(2010年)『高レベル放射性廃棄物の地層処分場候補地』として
「人形峠」に白羽の矢が立ちました。
2011年3月11日 東日本大震災が起き、原発から日々流出する放射性物質の被害が
拡大。原発震災となった。
その当時既に放射能の被害者がいて、放射能の被害を訴え訴訟を起こした勇敢な男がいた。
しかし、当時原発を誘致に加担した当時の人々は、このことを知っていたのか?
日本の片田舎で起きた事件の事など、誰が知ろうか… 知っていても誘致したのかもしれ
ない…
人類は何故「核」を手放す事はできないのだろうか…
何を怖れているのだろうか…