前回の、徳島ヴォルティスさんのブログより・・・
『 サッカー 』繋がりで・・・
ここ高知に、今話題の・・・
あのサッカーの監督さんが、講演会に来てくれます!!
そう、なでしこジャパンの・・・
佐々木監督が・・・
高知に・・・
・・・・・
・・・
くるんです!!! (←川平ジェイさんの、イメージで・・・)
ちなみに・・・
高知法人会さんの新春講演会で・・・
詳細は、上記を ↑ ↑ ↑ 見てください!!
日時は・・・
2月3日(金)の午後6時から、7時半までで・・・
場所は、高知市の三翠園さんにて開催されます!!
なんと、申し込み多数のため・・・
定員を700席に増やしての対応もしておりますので・・・
是非に、この機会に・・・
旬な、佐々木監督さんのお話を・・・
生で聞いてみませんか。
ちなみに・・・
佐々木監督とは・・・
毎度の、ウイキさんからの・・・
参照ですが・・・
選手時代
1958年(昭和33年)、山形県尾花沢市出身。実家の生業は建築業。小学校2年の時に父の仕事の関係で埼玉県川口市に転居、山形訛りを嘲笑され、学内での地位を上げるべく持ち前の俊足をアピールし短距離走で級友らを抑え、やがてサッカーへ傾倒。中学の頃はこの当時埼玉県立浦和西高等学校に在学し県内高校サッカーのスターであった西野朗に憧れていた。帝京高等学校3年次には主将としてインターハイ優勝、高校選手権ベスト4進出に貢献。大会優秀選手で構成される日本高校選抜の海外遠征に参加し主将も務めた。
明治大学を経て(同期に木村和司がいる)日本電信電話公社に入社し、電電関東/NTT関東サッカー部(大宮アルディージャの前身)でプレー。1981年(昭和56年)には全国社会人大会で優勝を経験。1985年(昭和60年)には妊娠中の妻が脳炎を患い、命の危険もある状態であったため看病のためサッカーを離れた(第一子となる娘の千尋を出産、後に全快)。1年のブランクの後「好きなことをして欲しい」との妻淳子の願いもあってピッチに復帰、1986年(昭和61年)には全国地域リーグ決勝大会での優勝に貢献し、同サッカー部を日本サッカーリーグ2部に昇格させた。
監督時代
33歳で現役引退後は指導者の道を歩み、1998年(平成10年)にはジャパンフットボールリーグ時代の大宮アルディージャ監督を務め、その後は大宮の強化普及部長及びユース監督を歴任した。
2006年(平成18年)1月1日から、サッカー日本女子代表コーチ及びU-20日本女子代表監督に就任。前監督である大橋浩司の契約任期満了による退任を受け、2007年12月7日に日本女子代表監督に就任した。
監督としての初戦となった東アジアサッカー選手権2008(中国・重慶)では、3戦全勝で日本女子代表に初タイトルをもたらした。北京オリンピックでは準決勝でアメリカに敗れたものの、日本女子サッカー史上初の世界大会4位という結果を残し、国際サッカー連盟関係者が「世界を驚かせたのは日本女子チームだった」と評した。
2011年(平成23年)、ドイツで行われたFIFA女子ワールドカップでは、チームを男女を通じて日本初の優勝に導き、大会におけるなでしこジャパンの選手たちの活躍に関して、「選手たちは粘り強くやってくれた。世界一は本当にビックリです。ちっちゃな娘たちがよくやってくれた」と感想を述べた。
7月20日、29人目となる明治大学特別功労賞を受賞。11月、アジアサッカー連盟(AFC)より、日本女子代表監督としては初となるAFC最優秀監督賞、さらに財界賞特別賞を受賞、12月、ゆうもあ大賞及び“GQ Men of the Year 2011”を受賞した。
2012年1月9日、2011年度のFIFAバロンドールにおいてアジア人として初となるFIFA女子世界年間最優秀監督賞を受賞し、「この賞は、我々のチームなでしこジャパンの総合力、チーム一丸となったことへの評価だと強く思っております」と述べ、あわせて昨年の東日本大震災で、各国から受けた支援に対する感謝などを語った。女子年間最優秀監督賞に際して、FIFA加盟協会の代表チームの監督や主将、選ばれたサッカー専門記者の45.57%の支持を獲得した佐々木は、「僕が率いたなでしこジャパンの完成形をロンドンで見せ、日本の皆さんに元気を与えたい」と断言した
いかがでしたでしょうか!!!
是非に、この機会を生かしてくださいませ。
その前に、是非に徳島ヴォルティスさんの応援よろしくお願いします・・・
重ねて、情報を発信してみました!!
今年のはるちゃんは・・・
サッカー一色になるのかな・・・
今日も、一日御疲れ様でした!!!
明日も、皆様にとって・・・
徳島ヴォルティスさんにとって・・・
より良い一日でありますように!!!
今夜も、寒いので・・・
あったまって、お休みくださいませ・・・