なんやかや、『慟哭』に『ス・ドンポ』に『チャンイ』に『イー先生』に
すっ飛ばされやっと。
この映画の感想はゆっくりと波に呑まれることなくあげたいと思ったので
時期を選んでのご紹介です。
先日、こちら観てまいりました。
『潜水服は蝶の夢を見る』
いつものように詳細はコチラEIGA.com 潜水服は蝶の夢を見る特集
そして感想です。
このタイミングでこの映画に出会ったことは偶然なんだけど偶然じゃないような・・。
そんな不思議な感覚でした。
毎日毎日「生きる意義」というか・・・「生きるということ」について
ユンスが否応なく私に問題を突きつけてきて。
毎日毎日『慟哭』の続きをあげながら読み返しながら
皆さんにお返事を書きながら考えざるを得なかった。
「生きること」と「死ぬこと」について。
そんな時に出会ったこの映画。
主人公ジャン=ドゥーは「ELLE」の敏腕編集長で私生活も充実順風満帆の人生を送っていた。
そこで彼は突然脳梗塞に倒れる。
動くのは左目と左まぶたの筋肉だけ。
左目の視覚と聴覚を残し、他の機能は麻痺してしまう。
深い深い絶望。
映画はジャンの視線から語られる部分がほとんどです。
まるで自分がジャンになったかのように
潜水服を着ているかのように
くぐもって聞こえる音・・・人の声
限られた視野から覗く世界・・・
伝えたいのに伝えられない自分の意思。
もどかしさ・・悔しさ・・・やるせなさ・・絶望感・・・
時折映る潜水服の映像とブクブクする空気の音から
どうしようもない閉塞感、息苦しさが伝わってきます。
深い深い深海に潜ったまま、もう地上に上がることはない・・・。
でも。
この人。
こんな絶望的な中でも頭の中はとてもユーモアに溢れているんですよね。
綺麗な言語療法士を見て手を出せないことを悔しがってみたり。
主治医に悪態ついてみたり。
彼の頭の中で繰り広げられる思考は今までと変わらない。
でも、それを相手に伝えられないわけ。
それでも
動く左まぶたの瞬きでまずはYESとNOを伝えることから始まって、
それが文字列を読み上げて適宜瞬きの合図をすることで言葉を文字に表す作業に繋がっていく。
最初は絶望していて後ろ向きだった彼が徐々に前向きになり自伝を書こうと思うようになり、それを実現させるわけです。
多くのサポートしてくれる人とのかかわりや
今まで当然のように手にしていた家族・友人とのふれあいから
それまでの自分が忘れかけていたものや大事なもの、置き去りにしてきたものに気づかされるんです。
この気づきのきっかけがわざとらしくないっていおうか・・本当に些細なことだったりするわけで。
閉じない口から流れ出す涎を子供が拭いてくれたことだったり、
友達が訪ねてきて何気なく交わす会話だったり、
老いた父親の髭をあたったことだったり、
ちょっとした出来事から彼の頭の中の記憶がふぁぁ~っと広がっていって
そう・・・まるで蝶のように舞うんですよね。
そして現実を観察する目はぶれない。
思考の中で蝶が舞うのと現実の潜水服に閉じ込められた彼がとても自然にストーリーの中で共存する感じです。
そして、彼は変わったけど変わらない。
彼の今の恋人から掛かってきた電話
かいがいしく面倒を見てくれる別居中の事実婚の妻が取り次ぐはめになる。
「私に会いたい?」尋ねる電話口の恋人
彼は「毎日、君のことを思っている」みたいに答えるんですよね。
一字一字奥さんの読み上げるアルファベットで言葉を綴る。
そう。
彼は彼なんだと。
彼らの関係はそのまま。
奥さんも何も言わない。彼も何もふれない。
それが何だかとっても深い気がしました。
彼は変わってないと自分は変わってないというかのような・・・。
そんな印象を持ちました。
そして彼は無事に自伝を書き終えて息を引き取る。
さて。
「生きる」ということですが。
この映画を観ながら感じたことは
「生きる」意味はおそらく人によって違うんじゃないか。ということ。
ジャンにとって「生きる」というか「自己実現の手段」っていうかな・・「生き甲斐」
というか・・・
彼のそれまでの生活から想像するに
何かを生み出すこと。
それは「ELLE」という雑誌かもしれない。
何だったか・・・有名な古典小説を現代版に書き直したいって言ってたし。
出版社から執筆依頼を受けていたし。
おそらく「何かを綴ること・自分の頭から生み出すこと」は
彼の中でとても重要な意味のある行為だったんだと思うのです。
絶望的な不幸の中・・・彼にとってその部分が残されたというのはある意味
とてもラッキーだったのかもしれない。
一番輝ける希望の光だったのかもしれない。
例えば。
マラソンランナーが走れなくなるとか。
ピアニストの指が使えなくなるとか。
それと逆の感覚というか・・・。
生き生きとユーモアを交え文章を綴り、
頭の中で蝶が舞う姿を楽しむ彼に
不幸とか絶望という言葉は似合わない気がしました。
希望とか力とか意志とか気力がみなぎっていて
あ~確実によく生きてるんだ・・・って思いました。
生かされているのではなく「生きている」印象です。
そして。
ふとユンスを思い出す。
彼女にとって
「生きる」「自己実現の手段」「生き甲斐」は何だったのか・・。
もし、それが奪われることがわかっていたら・・
生きる希望はどこにあるのだろう・・・
それでも人は「生きる」べきなのか・・。
そして。
私はきちんと「生きている」のか・・・・・・・。
失いかけてからわかるんではもったいないから
一生懸命探さないと。
大切にしないといけないと思いました。
こうやってパソばかりいじっていてはいかんいかん。
そんな気持ちになる映画です。
今年はずっと当たり続き。
春から縁起がいい感じです。
文句なく
写真は私の泣きツボ 「ジャンとお父さん」
そして、驚き
この映画、
最初アメリカ資本で主演は「ジョニー」キャスティングされていたようです。
彼もシナリオを読み大変気に入っていたらしいですが
「海賊」との兼ね合いでおじゃんになった模様です。
いやぁ~縁は異なもの味なものです。
縁といえば。
いよいよ。公式ではありませんが発表になりましたね。
きっと彼は暖かいロスで頑張っていることでしょう。
どんなご縁かしら。・・・・・・・ゆっくりと見守っていければいいな。
まずはほら、期待大2作あるし。
関係者の皆様、日本公開に向けご尽力くださいませ~~~
とりあえず、叫んでみました。
すっ飛ばされやっと。
この映画の感想はゆっくりと波に呑まれることなくあげたいと思ったので
時期を選んでのご紹介です。
先日、こちら観てまいりました。
『潜水服は蝶の夢を見る』
いつものように詳細はコチラEIGA.com 潜水服は蝶の夢を見る特集
そして感想です。
このタイミングでこの映画に出会ったことは偶然なんだけど偶然じゃないような・・。
そんな不思議な感覚でした。
毎日毎日「生きる意義」というか・・・「生きるということ」について
ユンスが否応なく私に問題を突きつけてきて。
毎日毎日『慟哭』の続きをあげながら読み返しながら
皆さんにお返事を書きながら考えざるを得なかった。
「生きること」と「死ぬこと」について。
そんな時に出会ったこの映画。
主人公ジャン=ドゥーは「ELLE」の敏腕編集長で私生活も充実順風満帆の人生を送っていた。
そこで彼は突然脳梗塞に倒れる。
動くのは左目と左まぶたの筋肉だけ。
左目の視覚と聴覚を残し、他の機能は麻痺してしまう。
深い深い絶望。
映画はジャンの視線から語られる部分がほとんどです。
まるで自分がジャンになったかのように
潜水服を着ているかのように
くぐもって聞こえる音・・・人の声
限られた視野から覗く世界・・・
伝えたいのに伝えられない自分の意思。
もどかしさ・・悔しさ・・・やるせなさ・・絶望感・・・
時折映る潜水服の映像とブクブクする空気の音から
どうしようもない閉塞感、息苦しさが伝わってきます。
深い深い深海に潜ったまま、もう地上に上がることはない・・・。
でも。
この人。
こんな絶望的な中でも頭の中はとてもユーモアに溢れているんですよね。
綺麗な言語療法士を見て手を出せないことを悔しがってみたり。
主治医に悪態ついてみたり。
彼の頭の中で繰り広げられる思考は今までと変わらない。
でも、それを相手に伝えられないわけ。
それでも
動く左まぶたの瞬きでまずはYESとNOを伝えることから始まって、
それが文字列を読み上げて適宜瞬きの合図をすることで言葉を文字に表す作業に繋がっていく。
最初は絶望していて後ろ向きだった彼が徐々に前向きになり自伝を書こうと思うようになり、それを実現させるわけです。
多くのサポートしてくれる人とのかかわりや
今まで当然のように手にしていた家族・友人とのふれあいから
それまでの自分が忘れかけていたものや大事なもの、置き去りにしてきたものに気づかされるんです。
この気づきのきっかけがわざとらしくないっていおうか・・本当に些細なことだったりするわけで。
閉じない口から流れ出す涎を子供が拭いてくれたことだったり、
友達が訪ねてきて何気なく交わす会話だったり、
老いた父親の髭をあたったことだったり、
ちょっとした出来事から彼の頭の中の記憶がふぁぁ~っと広がっていって
そう・・・まるで蝶のように舞うんですよね。
そして現実を観察する目はぶれない。
思考の中で蝶が舞うのと現実の潜水服に閉じ込められた彼がとても自然にストーリーの中で共存する感じです。
そして、彼は変わったけど変わらない。
彼の今の恋人から掛かってきた電話
かいがいしく面倒を見てくれる別居中の事実婚の妻が取り次ぐはめになる。
「私に会いたい?」尋ねる電話口の恋人
彼は「毎日、君のことを思っている」みたいに答えるんですよね。
一字一字奥さんの読み上げるアルファベットで言葉を綴る。
そう。
彼は彼なんだと。
彼らの関係はそのまま。
奥さんも何も言わない。彼も何もふれない。
それが何だかとっても深い気がしました。
彼は変わってないと自分は変わってないというかのような・・・。
そんな印象を持ちました。
そして彼は無事に自伝を書き終えて息を引き取る。
さて。
「生きる」ということですが。
この映画を観ながら感じたことは
「生きる」意味はおそらく人によって違うんじゃないか。ということ。
ジャンにとって「生きる」というか「自己実現の手段」っていうかな・・「生き甲斐」
というか・・・
彼のそれまでの生活から想像するに
何かを生み出すこと。
それは「ELLE」という雑誌かもしれない。
何だったか・・・有名な古典小説を現代版に書き直したいって言ってたし。
出版社から執筆依頼を受けていたし。
おそらく「何かを綴ること・自分の頭から生み出すこと」は
彼の中でとても重要な意味のある行為だったんだと思うのです。
絶望的な不幸の中・・・彼にとってその部分が残されたというのはある意味
とてもラッキーだったのかもしれない。
一番輝ける希望の光だったのかもしれない。
例えば。
マラソンランナーが走れなくなるとか。
ピアニストの指が使えなくなるとか。
それと逆の感覚というか・・・。
生き生きとユーモアを交え文章を綴り、
頭の中で蝶が舞う姿を楽しむ彼に
不幸とか絶望という言葉は似合わない気がしました。
希望とか力とか意志とか気力がみなぎっていて
あ~確実によく生きてるんだ・・・って思いました。
生かされているのではなく「生きている」印象です。
そして。
ふとユンスを思い出す。
彼女にとって
「生きる」「自己実現の手段」「生き甲斐」は何だったのか・・。
もし、それが奪われることがわかっていたら・・
生きる希望はどこにあるのだろう・・・
それでも人は「生きる」べきなのか・・。
そして。
私はきちんと「生きている」のか・・・・・・・。
失いかけてからわかるんではもったいないから
一生懸命探さないと。
大切にしないといけないと思いました。
こうやってパソばかりいじっていてはいかんいかん。
そんな気持ちになる映画です。
今年はずっと当たり続き。
春から縁起がいい感じです。
文句なく
写真は私の泣きツボ 「ジャンとお父さん」
そして、驚き
この映画、
最初アメリカ資本で主演は「ジョニー」キャスティングされていたようです。
彼もシナリオを読み大変気に入っていたらしいですが
「海賊」との兼ね合いでおじゃんになった模様です。
いやぁ~縁は異なもの味なものです。
縁といえば。
いよいよ。公式ではありませんが発表になりましたね。
きっと彼は暖かいロスで頑張っていることでしょう。
どんなご縁かしら。・・・・・・・ゆっくりと見守っていければいいな。
まずはほら、期待大2作あるし。
関係者の皆様、日本公開に向けご尽力くださいませ~~~
とりあえず、叫んでみました。
生きるというのは、もしかしたら、いや確かに、死ぬより難しいことだといつも思っています。
今まで生きていた中で、本当に幸せだったことがあるのだろうかと、思うこともありますが、生きていることがすでに幸せなのだと思っています。
辛いこと苦しいことは、いつでも幸せを気づかせてくれるものだと思うことが多々あります。辛いこと悲しいことがたくさんあるたびに、やさしくならなければいけないと思うのです。
どんな縁で誰とつながっているのかは、今まで歩いてきた道で、気づくことがあります。
「ああ、私はこのために生まれてきて、このために辛いことにあって、このために幸せになることができるのだ。」と。
だれでも、その人の役目があって、それにいつ気づいて、その役目をどうやってこなしていくのかが、生きていくということかもしれませんね。
ほんの少しのことにでも、とても幸せだなぁと思える自分でありたいと思っています。
そうですね。。。。
いつもkazukoさんが書いてくださる言葉は胸に染みます。
いろいろ考えても、私の考えはどうも上滑りしているようで。
本質が見えてないなぁ~と後から人のお話を聞いて思うこともしばしばなのですが。
kazukoさんの言葉を読んでいると、それに気づくことが必要だったのね・・・と前向きに思えます。
気づいた私は幸せなのね・・と幸せを感じております。
いつもありがとうです。感謝