先月の関市、関善光寺ご開帳に続いて、5月
22日は岐阜善光寺のご開帳に行きました。
岐阜善光寺は伊奈波神社入り口にあります。
善光寺の歴史には、多くの戦国武将が
関わっています。戦国時代、武田信玄により
信州にあった善光寺は甲府に移されます。
武田家滅亡後、その本佛、善光寺如来
三尊像を織田信長が岐阜に移しました。
本能寺の変で信長が討たれると、岐阜から
尾張の甚目寺へ、その後、家康が甲斐へ、
秀吉が京都方広寺へと、ご本佛を移します。
最終的に家康が浜松から信州に戻すまで、
善光寺如来像は各地を転々としました。
戦国時代は、それぞれの武将の都合で
転勤族みたいに次々と移転させられ、
仏さま、ある意味でお気の毒だったかも…。
さて、信長時代に善光寺如来が祀られていた
岐阜伊奈波の跡地に、信長の孫によって
善光寺堂が建てられました。そして善光寺
如来のご分身が祀られるようになりました。
現在は安乗院という真言宗のお寺が
善光寺如来を守っているそうです。
これが岐阜にある善光寺の歴史です。
岐阜善光寺、ご開帳期間の日曜日で、
多くの参拝の人で賑わっていました。
毎日、9時~、11時~、13時からは
法話があり、内陣に入って参拝できます。
善光寺ご開帳ならではのチャンスです。
ちょうど11時、岐阜善光寺に到着…。
本堂外陣にはたくさんの人が集まって
いました。案内されて本堂に座ります。
鐘の音とともに、ご本尊前で読経が始まり、
するすると一番奥の御簾が上がりました。
御簾の奥から、秘仏ご本尊、善光寺
如来像が、おごそかに姿を現しました。
太鼓に合わせ、般若心経が唱えられた後、
和尚さんのお話…。この地に善光寺如来
をお招きして、今年で440年目になるという
長い歴史を語りました。そして法話も…。
善光寺は宗派を問わずお参りできること。
宗派によって微妙に違うお参りの作法も
ここでは、特に決まりごとはないそうです。
お参りは、「これからもよろしくお願いします。」
…で、大丈夫だとのことでした。
「お参りして、ストレスや悩みなどは全部、
お寺に置いて行って、心がすっきりしてから
お帰り下さいね…。」和尚さんの言葉です。
法話の途中、かわいい声で案内が…!
和尚さんが、「もうちょっと待っててね…。」
誰…??? 声の主は…?
お坊さんの装束をしたペッパー君でした。
岐阜善光寺では本堂にペッパー君がいて、
お寺の案内を担当しているようですね。
法話の後は、いよいよ内陣の参拝です。
「内陣は善光寺の中で聖域とされています。
ここに入る前、心身を清めてお入りください。」
心身のお清めは…?
本堂に入る前はアルコール消毒…。
内陣に入る前は、塗香です。
手にのせるとよい香りがして、心身ともに
清められるような気分になりました。
塗香の後、聖域である内陣へと進みます。
秘仏ご本尊、一光三尊阿弥陀如来像が
すぐ目の前に…!
こんなに近くでお目にかかるれて…!
ちょっと感激しました。
善光寺ご開帳と言えば”回向柱”ですが、
秘仏ご本尊、善光寺如来さまとご縁を
結ぶことができる”善の綱”もありました。
お堂の中の仏さまの手から、白い布が
お堂の外にある回向柱まで渡されています。
この”善の綱”を手にするだけで、
仏さまとご縁が結ばれるのだとか…。
綱の横には…?やっぱりありました…!
アルコール消毒液です。
”善の綱”に触れると、アルコール消毒液で
しっとり濡れていた…!コロナ感染予防
対策中の2022年、善光寺ご開帳でした。
この後、伊奈波神社にも参拝しました。
岐阜善光寺の横に続く石段を上って行くと
伊奈波神社です。岐阜の街が眺められます。
新緑がキレイ。さわやかな風を感じました。