最近のブログ記事は、愛知県津島神社と
津島神社周辺の紹介をしていました。
今日のブログでは、津島のお寺を紹介する
予定でしたが、急遽、変更することに…。
今日のブログのテーマは、大嶋雲八です。
93歳で関ヶ原の戦いに参戦したという伝説の
戦国武将…。実は、私の”推し武将”です。
雲八さんの菩提寺、岐阜県関市、大雲寺では
先日、”シークレット寺宝公開”が行われました。
雲八さんゆかりのお寺、関市の大雲寺には、
雲八さんとその子孫、旗本大嶋家ゆかりの
品々が伝わっています。
大雲寺の寺宝は、戦国時代~江戸時代の
甲冑の他、掛け軸など多数残されています。
でも、保存と公開の両立が難しいので、常時
お寺に展示されているわけではありません。
年に一度の供養祭で特別公開されています。
さて、10月5日月曜日、11時から1時間の間、
今までの供養祭で公開されなかった寺宝が、
解説付きで特別公開される…、と聞きました。
一般公開ではなく、”ラインで大雲寺さんに
お友達登録している方限定”の公開です。
いわば、”シークレット寺宝拝観”でした。
きっと、最近、蔵の中から発見されたという、
掛け軸など公開されるのではないか…?
ちょっと期待して出かけました。
大雲寺に到着…。まず雲八さんのお墓に
お参りして、ご挨拶します。そして本堂へ…。
本堂にはゆかりの品々が飾られていました。
「左の甲冑は、雲八さん子孫の方より
お寺に寄進された雲八さん着用の鎧、
…と、伝えられるものです。実は…、
雲八さんの鎧は2つ伝えられています。」
「”ちょっと豪華な鎧”と”案外簡素な鎧”です。
”豪華な鎧”は、儀礼用かもしれませんね。
これは関市に寄贈されました。現在、関市の
”関鍛冶伝承館”に展示されています。」
「大雲寺に寄贈されたのは”簡素な鎧”です。
おそらく実戦用のもの。雲八さんがこれを着て
数々の戦いに臨んだのかもしれませんね。」
「ただ、”雲八さんの鎧”というのは伝承のみで、
それを裏付ける古文書などはありません。
子孫の方に代々伝わっていた話に過ぎない。
そのため、この鎧は雲八さん時代の古~い
ものですが、文化財に指定されていません。」
「右側の鎧はそれとは別に、古くから大雲寺に
あったものです。昔からある箱、何か食器でも
入っているのかな~?…と、開けてみたら、
古い鎧が出てきました。本当にびっくりです。
そこで、この鎧も2つ並べて飾りました。」
「こちらの鎧は誰のものでしょうか…?」
「これも記録が残されていないのです。
雲八さん着用のものかもしれないし、雲八さん
家臣、子孫の方の鎧かもしれないですね。」
「次に雲八さん直筆の書状をご覧ください。
雲八さんが書いた慶長6年のものです。
慶長6年は、関ヶ原の戦いの次の年です。
差出人の欄に”大嶋雲八 光吉”と書かれ、
雲八さんの花押(サイン)もありますよね。」
「”雲八さんへ”の書状は、徳川秀忠公から、
加藤清正公からのものが博物館にありますが
”雲八さんから”の書状は珍しいです。
今のところ、他で見たことがありません。」
「あと、本堂に掲げてある古文書に注目を…。
雲八さんの生涯や供養祭のことが書かれた
明治初期、大嶋家子孫の方の文書です。」
他にも最近、蔵で発見された軸もありました。
”南無鬼子母神”と書かれた掛け軸です。
ところどころ破れていて、虫が食っています。
「この掛け軸、ぼろぼろの状態ですよね。
一度鑑定に出して、きちんと修繕してから
今後、供養祭で公開していきたいです。」
掛け軸を写真撮影させてもらいました。
でも写真をブログ記事にUPするのは、
修繕後にしたほうがいいかな…。
今回は画像もシークレットとしておきましょう。
”シークレット寺宝公開”、本当に
あっという間の貴重な体験でした。
それでは、愛知県津島のお寺めぐりは
また次のブログ記事でご紹介します…!