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平方録

究極の断捨離…とは

2014年6月の実質的なリタイアから足掛け10年になる。

昔から言われる月日の経ち方の速さに改めて唖然とする思いだ。

ローカ現象の方は人後に落ちず? あちこちガタついてはいるものの、幸いなことに日常生活に不自由を来すことなく過ごせているのだから、何の不満もなく、ありがたいことだと感謝に耐えない。

おまけに、気が向けば「パトロール」と称してわが家から少なくとも半径30km圏内を自転車で見回れる体力も依然として残っている♪

片道30kmというのは北に向かえばヨコハマの山下公園や大桟橋辺りが楽に入るので、ミナト周辺はボクのテリトリーということになる。

海辺の自転車道を西に向かえば大磯を過ぎた二宮町辺りまでがパトロール範囲である。

そんなわけで、わが愛用の自転車もそろそろ新しいものに代えたいなぁ……などと、思いを巡らせる今日この頃ではある。

 

一方で、リタイア直後「断捨離」などという言葉にそそのかされて、書斎の大掃除兼断捨離を断行して大量の本を捨てたり古本屋に売り払ったりしたのも今は"昔"…

またぞろ書斎の佇まいが怪しくなってきて、くだらない本であふれ始めた。

"くだらない本"を手元に置いているのは何を隠そうボク自身なので、何とも情けないのだが、2度目の断捨離は避けられそうもない情勢である。

二度あることは三度ある…という格言があるくらいだから、多分三度目もあるだろう。

ここで改めて確認しておきたいが「断捨離」というのは「(宝物と思い込んで大切にしてきた)ゴミ(のようなもの)を捨てる」という意味だと捉えておきたい。

となると、なんともヤレヤレなことで、ニンゲンという生き物の中には、特にゴミを好む? もしくはゴミとともにしか生きられない? 種が存在するということの裏返しのようではないか。

まぁ、とどのつまりは自分自身もゴミになって燃やされるのだから、それもムベなるかな。

生きている限りゴミを出し続け、追い求める断捨離が実現する時こそ、自分自身が燃やされる時、ということになるんじゃないのかしらん…

まさに究極の断捨離というべきで、生身が続くうちはなんやかやと「ゴミの処分=断捨離」への悪あがきが続くのである……な~んちゃって♪

 
 
 
以下は横浜イングリッシュガーデンの秋バラから その3




















 

コメント一覧

heihoroku
悟りを開いたか、よほど鈍感な人を除いて、ヒトはいつまでもジタバタ、ドタバタ足掻き続けるものなのです。
何の心配もいりません。セージョーです。
さぁ、元気を出して生きましょう♪
アミ
毎日、あがいている私です!
もう、面倒だ!
恥をかいてもいいではないか…と、投げやりになってるこの頃です!
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