あれはお囃子だったのかそれとも何か書かれたものを読んで記憶しているのか定かではないが、幼少のミギリの記憶の底にかすかに残っているのだ。
この甘茶と渋茶の部分は軽妙な節回しもかすかに覚えているから、やっぱりお囃子の類なんだろうか。
一体全体どういう意味かも分からない。
字ズラの「かっぽれ」も声に出して読んでみる「かっぽれ」も何となく歯切れも調子もどちらもいいし、お囃子ならなおさら調子はいいんだろうが、何れにしたって、長じてからこれに関する記憶はないから、高度経済成長期やその後のバブル期のものではないことは間違いない。
ネットをチラッとのぞいてみると諸説あって紛らわしいのだが、文化文政年間の江戸期に「やあとこせ」とうたいながら江戸市中を踊り歩いた大道演芸が起源とあり、明治になると浅草に三味線の伴奏で「かっぽれ踊り」を見せる常設小屋も現れたと記されている。
これに対して「武士道」を書いた新渡戸稲造はギリシャ語の「カルボーレ」(収穫)が語源でかっぽれ踊りは収穫祭の踊りであると主張し、一方で司馬遼太郎は江戸築城に当たってお濠を掘削する人足たちが「かっ掘れ、かっ掘れ」と景気をつけて囃したのが語源だという説を唱えている。
諸説入り乱れるところを見ると真面目に考える類のものでもなさそうである。
ともあれ「平成」が終わりかけようとしている今、かっぽれに興味を抱く若い人などいるわけもなく、ジジイがかすかな記憶を頼りに「はてな、あれはいったい何だったんだ? 」と首を傾げてそれでオシマイの話である。
なんでこんな展開になったかと言うと、昨日、円覚寺でお釈迦様に甘茶をかけさてもらってきたからで、甘茶と来れば「あぁ~ 甘茶でかっぽれ 渋茶でかっぽれ ♪ 」のおぼろげな節回しが浮かんできてしまったのだ。
というのも、4月8日は仏教の世界ではとても重要な行事の一つとされるお釈迦様の誕生日をお祝いする降誕会(花まつり)の日で、これに毎月第2日曜日に開かれる横田南嶺管長の日曜説教と坐禅の会が重なってボクのような野次馬的存在も甘茶をかける行列のしっぽに並ぶことが出来たわけである。
法要はほとんど全山のお坊さんたちが列席して仏殿でにぎにぎしく行われ、日曜説教を終えたばかりの横田老師がワープして式典を取り仕切る様子も人の頭越しにチラッと垣間見たけれど、よく見えないし、仕方なく新緑があちこちに吹き出て眩しさが増してきた境内を巡視してから再び戻ると首尾よく仏殿内に入れたんである。
仏殿内に入ると本尊の宝冠釈迦如来像の前に釈迦が誕生したルンビニー園を現す「花御堂」という屋根を沢山の花で飾った小さなお堂がしつらえられ、そのお堂の中に天上天下を指して立っている誕生佛に小さなひしゃくで甘茶をかけて誕生を祝うのだが、古希を目前にしたボクは生まれて初めてお釈迦様に甘茶をかけたのである。
甘茶をかけるのは、釈迦の誕生を知って喜んだ龍が9匹現れ、甘露の雨を降り注いだという言い伝えに倣ったものだそうだ。
かけ終わるとすぐ脇で待機している雲水が差し出す甘茶もいただき、これもまた生まれて初めて「甘茶」なるものをのどに流し込んだのだ。
なるほど甘かったですナ。
こういう日が来るということは想像もしていなかったから、縁というものはつくづく不思議なものだということを実感させられた。
坐禅に通っていなければこういう機会には、そもそも遭遇していないのだから。
きっかけは今から52年前の高校生だった夏休み直前、居士林に10日ほど参禅したのがきっかけなのだ。あの行動なかりせば……
それにしても、いろいろなことを体験するものである。
屋根を花で覆った花御堂の中の天井天下を指した誕生佛に小さなひしゃくで甘茶をかける
仏殿内の様子
仏殿脇のモミジの新緑が目に眩しい
こちらも仏殿脇に位置する居士林。ボクは紅葉よりも新緑のモミジが好きである
こちらは最奥部の黄梅院のモミジの新緑。陽光に輝いて生命の息吹に満ちあふれている
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