僕が初めて矢吹春奈(阿部真理)を知ったのは、一作目の写真集「春夏」を発表した二〇〇二年秋に遡る。僕の自慰素材は基本的に十五歳から十八歳までの女性なので、当時十七歳の矢吹は僕の性的興奮を高めてくれるには絶好の対象で、「春夏」も古書店に出さずに長い間保管していたのを覚えている。
「完売クイーン」などと男性誌でしきりにもてはやされた矢吹のグラビアにはまったく興味はなく、僕はもっぱら「春夏」で自慰に勤しんだ。不器用な作り笑いと垢抜けていない表情に対して、成熟した肢体というアンバランスに僕はすっかり魅了され、自慰の回数は増えていった。水着姿も過度な露出はなく、非常にシンプルな構成だったが、その分僕の性的想像力は働いた。
「春夏」で矢吹の虜になった僕は、当然次の作品を期待していたが、翌年の男性誌のグラビアでの垢抜けぶりに少なからぬショックを受け、以降の彼女のグラビアには目もくれず、もっぱら「春夏」を素材に用いた。それ以前のオナペットだった小倉優子や磯山さやか、福愛美は二作目、三作目の写真集にも手を伸ばし、前作と違和感なく楽しませてもらったが、矢吹については一作目のみだ。しかし、矢吹の人気が上がったのは〇三年以降だから、僕の彼女に対する要求度は、世間のそれとは異なるといっても過言ではない。
僕は矢吹に対して「お菓子系」のような素人っぽさを過度に期待していたが、彼女はすでに芸能プロダクションに所属していたようで、十八歳を過ぎたら大人のグラビアアイドルとして各種媒体に売り込みを図り、芸能界でそれなりに名が知られるようになった。「春夏」しか知らなかった僕は、その後の矢吹のグラビアに接した際、本当に同一人物なのかと疑うほど、彼女の扇情的な表情に違和感を抱くことしきりだった。
もっとも、「春夏」で十七歳らしからぬ性的興奮をそそる肢体を披露していたのだから、それに扇情的な表情が加われば世の男性たちを魅了させるのに時間はかからない。僕は性的興味を持たなかったが、それは性癖が偏っているからで、世間は矢吹のグラビアを支持した。「お菓子系」モデルのように短期間でフェードアウトせず、ドラマの端役をもらえるほど芸能活動が続けられたのも、グラビアの賜物といっていいのかもしれない。
ただ、「春夏」のイメージが強すぎる僕にとって、人気が出た後の矢吹に何の劣情も抱かなくなったのは事実で、今までお世話になってきた幾多の素材の中で最もその変化のギャップを抱え続けている。後年になって、富樫あずさという当時十五歳の素材が矢吹のように急速に垢抜けてしまい、自慰の手を止めたのを覚えているが、消費者(僕)の要求と制作側の意図が異なるのはよくあることだから仕方ない。
前年は小倉の“一強”だった僕のオナペットも、この年は磯山、福、矢吹と良質な素材が現れ、僕の自慰を捗らせてくれた。さらにこの年の暮れから翌年春にかけて、十八歳未満にもかかわらず完成された肢体を持つグラビアアイドルが相次いで写真集を発表する。性欲旺盛だった二十八歳の僕は、右肩上がりで自慰の回数を増やしていくことになる。