一九九九年の児童ポルノ法施行は、中小出版社が地道に育ててきた少女ヌード写真集を市場から追放したものの、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品に対しては何の規制もなかったために、施行前以上に数多くの写真集やイメージビデオ(IV)が市場に出回った。「アイドル=歌手」から「アイドル=水着仕事」へと、器量とスタイルさえよければ誰でもデビューできるようになり、出版社もプロダクションも次々と新人をデビューさせていった。
九〇年代と〇〇年代以降、つまり児ポ法施行前と施行後の商業作品のコンテンツを比較すると、施行後のほうが実用性に勝るのは言うまでもない。水着の布面積は小さくなって肌の露出が顕著になり、かつては胸の谷間や水着越しに伝わる立体感だけでも性的興奮を得られたが、施行後の作品は高校生世代でも横乳や下乳が堪能できるほど、ストレートでわかりやすいポージングばかりで、僕もやりすぎではないかと多少の訝しさはあっても、九〇年代の作品が陳腐に思えるほど当時の作風にすっかり毒されてしまった。
九〇年代の自慰用素材は、前半がアダルトビデオ、後半は「お菓子系」雑誌がメーンで、当時は親からの仕送りに頼っていたので写真集を買う経済的余裕はなかった。高校卒業直後に新島弥生の「楽園をさがして」を買ったのが初めてで、次に買ったのはおそらく加藤紀子の「紀子図鑑」だったと思う。メジャーアイドルの作品に手を出したのは、当時の僕がまだ極端なマイナー志向に走っていなかったことの表れだ。
〇〇年代の作品に比べれば、加藤の水着姿は控えめで、それこそ「殊更に性的な部位が露出され又は強調されて」いないものの、当時の僕は肩ひものないビキニブラから覗える胸の谷間とワンピース越しに伝わる胸の立体感に性的想像力を膨らませ、射精に導かせたものだ。今では〇〇年代の写真集ですら自慰用素材になり得ないのだから、IVの影響などで僕の性的想像力は約三十年間ですっかり衰えている。
そのほか、この年(九三年)に買った作品として、木内あきらの「SINCERITY」を挙げておく。木内はグラビアアイドルになるべくしてなったようなスタイルの持ち主ですでに大人気だった雛形あきこに比べて大人びた佇まいが僕の下半身を熱くさせた。ヤフオク!に出品されている当該作品のサンプル写真を見ると、滝ありさに顔つきも体つきも似ていて、こういう風貌が僕の劣情をいたく掻き立てるのだろう。
また、木内と似たような体躯の素材として桂木亜沙美が挙げられ、一作目の写真集「Neptune」を買ったことも思い出した。木内も桂木も滝も芸能人として大成したとは言いがたいが、僕を含む男性諸氏の性欲処理に貢献したのは間違いなく、たとえ水着の仕事だけであっても、今でもその作品がネットオークションで出品され、売買的価値を持ち続けているのは立派なことだと思う。