僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

レジェンド・オブ・スクール水着~石井めぐる編~

2022-09-24 15:28:09 | 日記
 二〇〇〇年代は、高校生世代の少女でも器量とスタイルさえよければ簡単にグラビアアイドルになれた。「お菓子系」の勃興は、僕のような少女性愛者の潜在的な需要を掘り起こし、新興の芸能プロダクションとアイドル写真集に特化した出版社もこぞって参入。3号ポルノ市場が最もにぎわっていた時期で、二十代後半だった僕も人生において性欲が最も旺盛だったので、数多くの写真集とイメージビデオを買い求めては自慰を繰り返した。

 これまで「クリーム」などお菓子系雑誌の枠に留まっていた少女たちは、芸能プロダクションと出版社に担ぎ上げられ、写真集を発表できるほどグラビアアイドルとして出世することができた。福愛美がその代表例だが、〇〇年代前半頃からはお菓子系での活動を経ずに、いきなり週刊誌や漫画誌のグラビアから写真集の発表をもってデビューする流れが一般的となった。

 僕は〇七年まで写真集を買い続けてきたが、数多の作品の中でスクール水着姿が映えていたのはどの作品かと問われると、やはり〇四年と〇五年の二年連続で最多自慰回数を記録した石井めぐるのデビュー作「Be―New―」を挙げずにはいられない。石井は写真集を三作品発表しているが、僕は「Be―New―」のスクール水着姿で幾度となく性的興奮を最高潮に導かせた記憶しか残っていない。


 僕を激しく興奮させた石井のスクール水着姿は、写真集の帯にも使われている。窓に寄りかかった石井を、カメラは横から捉えており、窓には反射した彼女の背中が写っている。下ろし髪の石井はじっとした表情でカメラのほうを向き、肌にぴったりと張りついた水着越しに胸の立体感が窺える。同作品ではビキニブラに収まらんばかりに下乳や横乳があらわになったカットもあるが、そんな着エロまがいの演出よりも、乳房が覆い隠されたワンピースのほうが性的興奮の度合いがぐっと高まるのは、僕のスクール水着への憧憬が深いからだと言えよう。

 石井のデビューが衝撃的だったのは、美少女度の高さとスタイルのよさの両方が完璧だったことに尽きる。それを写真集という多少値が張るとはいえ、じっくり堪能できる媒体で発表してくれたのが、お菓子系雑誌との違いだ。また、歴代のオナペットである小倉優子のように表情や着衣姿だけでも勃起したほどなのに、スタイルが十人並みだったり、磯山さやかのように体つきは同年代に比べて抜きん出ているものの、田舎臭さを残しているなどウィークポイントがどこかにあった。

 小倉の美少女度と磯山の体躯を併せ持てば非の打ちどころがなくなるが、それを体現してくれたのが石井だった。「Be―New―」が発表された〇四年は、僕の性欲が最もピークに達していた時期と重なり、この年の一日の平均自慰回数は二回を超えるほど下半身の精力が漲っていた。結婚して子孫を残すには絶好のタイミングなのに、ひたすら自慰に明け暮れていたというみっともない人生を後悔することなく、あの時に石井がデビューしたことを、今でも感謝している。

レジェンド・オブ・スクール水着~中山由香/福愛美編~

2022-09-16 18:27:08 | 日記
「大海賊」での高橋由美子のグラビアが、僕のスクール水着に対するフェティシズムの原点だったが、一九九〇年代における「お菓子系」の勃興はそれに拍車をかけた。制服と体操着、スクール水着の三点セットに加え、下着を模した白ビキニというベーシックかつクラシカルな演出は、素人っぽさを残す高校生世代のモデルとぴったり調和し、そのリアリティが高校時代に恋愛経験がなかった僕の劣情を激しく掻き立てた。

 今までお世話になった「お菓子系」アイドルの中で、高橋と肩を並べるほど僕の自慰人生において衝撃的だったのを年代別に挙げると、九〇年代が中山由香、〇〇年代が福愛美だ。当時十五歳の中山は、九六年四月号の「クリーム」で数ページのグラビアを披露、背表紙も飾った。総集編の「クリーム写真集3」で当該号の未発表のグラビアが掲載された以外は、ほかの雑誌との掛け持ちもなく、一度きりの活動に終わった。


 しかし、AVや成人コミックなど種々雑多な自慰用素材に頼っていた僕の学生生活において、「お菓子系」、とりわけ中山のグラビアは僕のスクール水着に対する性的興味や自慰集中度をいっそう強めさせた。「大海賊」の高橋に引けを取らない美少女度の高さが今でも印象に残っており、その場に素材がなくても脳内でスクール水着姿のグラビアをあぶり出しながら射精に導かせたほど、中山は終生忘れることができないオナペットの一人だ。

 一方、福は「お菓子系」の枠を超え、大手出版社のオーディションで準グランプリを受賞し、写真集を三作品も発表するほどグラビアアイドルとして人気を博した。どの作品も十五、六歳に撮影されたもので、年相応の体躯と美少女度の高さに僕は幾度となく勃起と射精を繰り返した。Tバックを履かせたり、性交を連想させたりするなど露骨な演出がなくても、スクール水着姿さえあれば十分に性的想像力を膨らませられた。


 中山も福も決して巨乳という範疇ではなく、そこらへんにいそうな佇まいだが、そんな普通の少女たちのスクール水着姿を自慰用素材に用いるのは、僕にとって至福の時間だった。ワンピースは乳房の露出が望めない分、水着越しから伝わってくる膨らみから性的興奮を高めるしかなく、それは「大海賊」の高橋のグラビアで教えてくれた。スクール水着姿の少女なら誰でも自慰対象になるわけでもなく、乳房の適度な立体感が重要な着眼点となる。

 年端もいかない少女の成長過程に商業主義を持ち込んだのは、英知出版やミリオン出版などポルノ雑誌がメーンの中小出版社で、その延長線上からアイドル雑誌という名目で「大海賊」や「すッぴん」、そして「クリーム」などが生まれた。児童ポルノ法の施行、改正と印刷媒体の部数減によって先駆者たちは強制的に退場させられ、その代わりに大手出版社がしれっと十八歳未満の少女の水着グラビアを掲載し、性的な部分が殊更に強調されている。先駆者の媒体に散々お世話になった身として、現在進行形のグラビアアイドルで性欲を発散するのは、志半ばで業界から去っていった彼らに何だか失礼な気がする。

レジェンド・オブ・スクール水着~高橋由美子編~

2022-09-09 18:07:38 | 日記
 僕の性的興味の対象が十五歳から十八歳までの高校生世代で、とりわけスクール水着へのフェティシズムが強いのは、英知出版が昭和末期から平成初期にかけて発行していたアイドル雑誌「大海賊」に掲載された、高橋由美子のグラビアに魅入ってしまったからだ。児童ポルノ法の改正に伴い、雑誌や写真集、イメージビデオで少女の水着姿に接する機会がなくなった今日において、当時十五歳の高橋を凌駕するほどスクール水着を着こなせる少女は、もう出てこないだろう。

 僕が知る高橋のグラビアは、一九八九年十一月に発刊された「大海賊」のほんの数ページだ。小島聖が表紙の号で、高橋が巻頭グラビアを飾った。グラビアの構成は制服と体操服、ワンピース水着という後の「お菓子系」にも通ずるテイストで、美少女度が抜群に高い素材ゆえに露出の少ないクラシカルな構成でも、性的想像力を高めるのに苦労しなかった。

 高橋は今日のグラビアアイドルに求められるほどの巨乳の持ち主ではないが、ワンピース越しに伝わってくる適度な立体感が、中学三年だった僕の劣情を掻き立てた。最も衝撃的だったのは、カメラから向かって真横に立ったスクール水着姿の高橋が、カメラの方を向いているカットだ。その画像は今日でもインターネット上に漂っているが、真横から捉えた両胸の張り具合と尻の割れ目、下ろし髪と素人臭の残る表情、幼く見えながらも性的な部分が殊更に強調されているその絶妙さに、高橋より一学年下の僕は完全にノックアウトされた。

 高橋はその後、一気にトップアイドルの階段を駆け上がり、歌手と女優を並行しながら、水着の仕事もこなした。僕は高橋の一作目の写真集「pure mint」を自慰用素材に用いたが、ワンピース水着姿ぐらいしか性的興奮を最高潮に導かせられるヤマ場はなく、「大海賊」に比べると冗長な仕上がりだった。「大海賊」は高橋を起用した頃から不採算だったらしく、彼女のメジャー入りを置き土産に休刊となった。

「大海賊」時代の高橋の水着姿はワンピースにかぎられたが、水着越しに伝わってくる胸の立体感は、性的想像力を膨らませるには困らぬほど僕の性的興奮を高めさせてくれた。僕個人の見解だが、高橋のグラビアアイドルとしてのピークは「大海賊」で、しかも僕が初めて手にした八九年十二月号だと思う。それ以前でもそれ以後でもなく、あのスクール水着姿をリアルタイムで見られたことによって、今日まで続く僕の性癖が決定づけられてしまった。

 高橋は九〇年代を代表するアイドルの一人だが、僕は彼女の芸能活動に何一つ興味を覚えることなく、自慰用素材も「大海賊」から「すッぴん」へと移り変わり、まだ垢抜けていない少女の水着姿でひたすら自慰に明け暮れた。ビキニよりもワンピースやスクール水着のほうが興奮の度合いが高まるのは、ひとえに高橋のグラビアに魅了されたことに尽きる。「大海賊」を手にしてから三十三年近くになるが、今見返しても高橋のスクール水着姿に古臭さは微塵もなく、すべてにおいて完璧だと思う。

デビュー作を紹介しない現役アイドル

2022-09-03 10:47:27 | 日記
 DMM.comが十八歳未満のグラビアアイドルの映像作品を配信しなくなって以来、僕は某サイトから自慰用素材にかなう作品をダウンロードしてきた。著作権法に触れかねない行為だが、DMMが動画配信を自粛する一方で、大手出版社は当該作品の販売を継続している矛盾に納得できず、児童ポルノ法改正による現場の混乱に乗じる形で、ウイルス感染のリスクも抱えたうえで、新旧作品のダウンロードと削除を繰り返した。

 ダウンロードした作品の中で、十回以上使わせてもらっているのは二〇一八年十一月に発売された、森田愛生の「らぶフレッシュ」ぐらいで、あとはどれも実用性に欠けていた。あえて挙げるとすれば、今でもアイドルとして活動を続けている長月翠の「キミは伝説のみどり!」だ。


 同作品は一六年十一月に発売。長月の公式プロフィールに記された生年月日によると、撮影当時は十五歳か十六歳で、児ポ法改正直後にもかかわらず3号ポルノが臆面もなく企画、販売されていたことになる。中学を卒業したばかりのようで、ジュニアアイドルのイメージビデオのような演者の「やらされ感」が伝わってくるが、巨乳と形容するにふさわしいボリューム感ある体躯を売りに、各チャプターでも布面積の小さいビキニ姿で胸の立体感をあらわにしている。

 かつての石井めぐるを彷彿するかのような僕好みの肢体ゆえ、長らくお世話になるかと思いきや、長月の動きから健康的なエロチシズムが伝わってこなかったので、全編を通じて性的興奮を最高潮に導かせるヤマ場が少なく、オナペットとみなせるほど自慰回数が稼げなかった。繰り返し使わせてもらったのはメイドキャップ姿のチャプターで、ここだけは長月の美少女度の高さとビキニブラからはみ出さんばかりの乳房との調和がたまらなかった。

 児ポ法改正などどこ吹く風とばかりに、各チャプターにおいて性的な部分が殊更に強調されている仕上がりだが、版元のスパイスビジュアルはさすがにこの作品以降、十八歳未満を起用しなくなり、どれも似た顔立ちと体躯の作品が間断なく販売され続けている。同社は「@IDOL」や「君との恋は5センチメートル」など高校生世代からジュニアアイドルまでの作品を率先して手がけてきたが、今日ではその面影もなく、過去の作品目録でも撮影時の年齢を配慮してか、モデルの生年月日を伏せている。

 長月の公式プロフィールには、自身初の映像作品でもある「キミは伝説のみどり!」について一切触れられていない。同作品を発表した当時と現在の所属先が異なるからなのかもしれないが、アイドルグループのメンバーでグラビア要員という立ち位置は変わらずに、芸能活動を続けてきた。そこらへんにいるようなぽっちゃりした少女が、大手出版社から写真集を出せるほどメジャーアイドルの仲間入りを果たせたのは本人と周囲の努力のたまものだが、少女時代の経歴をあえて紹介しないのなら、芸名も変えるべきではないかと思うのは、本人やファンにとっては余計なお世話か。