僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

“制コレ”デビューの現在地

2020-10-22 10:02:34 | 日記
 二〇〇四年は、僕の人生で年間最多の自慰回数を記録した年だが、最もよく使わせてもらった石井めぐるでさえ全体の一割強にすぎず、素材をとっかえひっかえしながら回数を重ねていった。雨後の筍のごとく、彩文館出版などから十八歳以下のグラビアアイドルの写真集が発売された時代背景もあり、この年のコアとなったオナペットは、石井と川村ゆきえに加え、野崎亜里沙も挙げられる。

 僕が野崎を知ったのは漫画誌のオーディションで、そこでのお披露目から写真集を発表するまでのスパンが長かったのを覚えている。グランプリを受賞した紗栄子に一切性的興味が湧かなかったのは、グラビアでの露出が少なかったのと、オーディションを単なる踏み台とでしか思っていなさそうな成り上がり臭を無意識に嗅ぎ取り、卑屈なオナニストは彼女を素材に用いることを拒んだ。その代わり、準グランプリの福愛美に対しては思う存分性欲を発散させてもらった。

 福とほぼ似た体躯の野崎がいつ写真集を出してくれるか。僕はずっとその期待に股間を膨らまし続けていた。石井の一作目の写真集「Be―New―」で週末は一日四、五回の固め打ちが日課となっていた頃、野崎の写真集「Arisa」が遂に発売され、僕はセルビデオ店に駆け込んだ。当時、すでに福がオナペットの座から降りていたのも、野崎での自慰を捗らせた。

 野崎は翌年にも二作目「ハズカシイカタチ ナンデモアリサ」を発表し、早くも十八歳でグラビアから足を洗った。現在、ほとんどのモデルが十八歳を過ぎてからグラビアデビューするというのに、野崎はすでにほかの芸能活動に軸足を移していた。本人の意思か所属事務所の方針かは知らぬが、今と違って次から次へと十八歳以下のモデルが水着姿になってデビューする中、グラビアの仕事が瞬間的にしか稼げないとみなしたのだろう。その点では、野崎にとってもグラビアは芸能界を生きていくうえでの踏み台にすぎなかった。

 SNSなどによると、野崎は舞台女優としての仕事を長く続けていたそうだ。福と同様、紗栄子に大きく差をつけられてしまったが、それは彼女たちに芸能界で箔をつけるための図太さや強烈な自己顕示欲を養う能力を持ち得なかったからで、むしろそのほうが健全だと言える。高給取りのプロ野球選手や成り上がりの青年実業家に取り入るのは、紗栄子に天性の男転がしの術を持ち合わせていたからで、こんなのが町中に蔓延っていたら社会は著しくバランスを欠いてしまう。

 紗栄子の生き方に共感していたら、その人々は地に足をつけていない“ふわっと”した生き方に憧れているのかもしれない。常にパトロンを侍らせていそうなのは、それはそれで一種の才能だが、情報商材のような捉えどころのなさが紗栄子の芸能活動であって、少なからぬ支持を集めているのは時代の趨勢と言えよう。しがない男性たちのオナペットとして記憶に刻まれるよりも、現在進行形で公私の充実ぶりをアピールし続けるのを選んだ紗栄子をこれまで一度も素材に用いなかったことを、僕は誇りに思う。



最高傑作の写真集との邂逅

2020-10-17 21:41:29 | 日記
 僕が石井めぐるを初めて知ったのは、日比谷線の電車に乗ったときに偶然目にした中吊り広告だった。そのグラビアが掲載された写真週刊誌は買わなかったが、名前と顔はしっかり覚えたうえで、写真集の発売を心待ちにしていた。今ならDVDで名の売れたグラビアアイドルのみが写真集を上梓できる“特権”が与えられるが、二〇〇四年当時は写真集からのお披露目が一般的だった。

 僕が三十歳の節目を迎えたちょうどその頃に、石井の一作目の写真集「Be―New―」が行きつけのセルビデオ店で平積みされた。〇四年六月二十五日、ちょうど金曜日の夜だったと思う。自室に戻って早速自慰に勤しみ、射精した際の精液の量がいつもより多めだったのを、今でもはっきり覚えている。翌日、僕は美少女と巨乳の双方を兼ね備え、運動経験者だと思われる体脂肪率があまり高くなさそうな肢体をオナペットに、六度の射精を果たした。一日六回の自慰は後にも先にもその日だけだ。

 以来、翌年春頃まで石井の水着姿で自慰を続ける日々が続いた。〇四年の暮れに二作目「めぐるめぐる」、翌年春に三作目「海風」が発売され、僕はその都度股間を熱くしてきたが、洗練されて垢ぬけていくよりも、やはり一作目の初々しさと何も知らぬままの素肌の露出にはかなわず、自慰回数は二作目、三作目を大きく上回った。僕が今まで手にしてきた写真集の中で一、二を争う最高傑作といっても過言ではない。

 石井の芸能活動は実質五年間で、グラビアの媒体を写真集からDVDへと移した。その頃、僕はすでにほかの素材に夢中で石井への性的興味は失せていたが、新作を重ねるごとに露出度が減り、実用度が下がっているという悪評が漏れ伝わってきた。「Be―New―」と並行して制作されたデビュー作「Pure smile」には到底及ばないとのことで、ブレイクできるかどうかの大切な時期に、僕のようなオナニスト諸氏からの支持が得られず、引退まで中途半端な立ち位置で終わってしまった。

 ほぼ同時期にデビューし、グラビアの仕事に執着し続けていた川村ゆきえとは対照的だが、それは単に石井が芸能界での出世欲を持たなかっただけで、人前で水着姿になることへの恥じらいと馬鹿馬鹿しさを抱きつつ、所属事務所から与えられた仕事を淡々とこなしていたのではないだろうか。一見華やかに見えても、実際にデビューしてみたら“虚業”としての現実を実感し、自らの能力不足も相まって仕事が続けられなくなる。開き直って図太く生きようとするしたたかさも持ち合わせていなかったのだろう。

 それでも、僕は「Be―New―」をメーンに百八十回近く自慰と射精を繰り返した。歴代のオナペットの中でも屈指の高頻度で、性欲発散のピーク期だった三十歳の終生忘れ難い思い出だ。適当な女性と知り合う機会を探そうとせず、ひたすら十八歳未満のグラビアアイドルの写真集を買い求めていたことを、石井に巡り会えたことで決して後悔していない。


無事是名グラドル

2020-10-14 12:46:05 | 日記
 僕が三十歳になった二〇〇四年は、人生における性欲発散の絶頂期だった。結論から言うと、この年の自慰回数は七百六十二回(七百七十二回だったか?)と、一日平均に換算すると二回以上射精していたことになり、翌年からは減少に転じる。残業がなかったら、週末は自室に引きこもる“非リア充”生活の連続だったことに加え、良質のオナペットに数多く出会うことができたから、僕のペニスは勃起と射精を繰り返さずにはいられなくなった。

 この年のコアになったオナペットを時間の経過順で振り返ってみると、まず川村ゆきえが挙げられる。美少女と巨乳を兼ね備えた素材は滝沢乃南で経験済みだが、滝沢がぽっちゃり気味なのに対して、川村は佐藤寛子ほど体脂肪率は低くなさそうだが、運動経験者のような均整のとれたスタイルでデビューしたので、僕の執着度は滝沢を大きく上回った。川村の写真集が発売されれば、狂ったように自慰に勤しむだろうとわくわくしながら発表されたのが一作目の「17ans~ディセダン~」だった。

 つい最近までグラビア活動を続けていたのだから、川村のプロフェッショナル意識には感心するばかりだが、僕が彼女に夢中になったのはこの年だけだ。一作目と二作目の「1or8」はかなり使わせてもらったが、すでに川村が十八歳を過ぎていたのと、川村のような美少女と巨乳の両方の要素を併せ持った素材が次々と表れてくるので、僕にとって彼女は絶対的な存在にはならなかった。

 僕の中で、川村のグラビアは〇四年しか知らない。しかし、川村は結婚するまで人前で水着姿になって扇情的なポーズをとる仕事を続け、その映像作品が市中に出回って男性たちの自慰を捗らせた。川村と同じスタートラインで芸能界に入ったモデルは数多いが、そのほとんどは人知れず引退していく。一方で、文化人を気取ったり、大物芸能人に取り入って芸能界にしがみついていたりするのもいる。人前で素肌を晒し続けるのは、本人の徹底した自己管理が求められるわけで、僕は芸能活動の転換を図り、グラビア時代をなかったものとする連中よりも、川村のほうが潔さを感じるし、共感を覚える。

 三十歳を過ぎてもグラビアの仕事を続けていた川村も、芸能界で生き残るための図太さの経験値を高めたようで、それは今後も決して表に出ないほど生々しいことなのかもしれないが、かといって佐藤のように未婚の母を公言したり、杉原杏璃のように大手芸能プロダクションの一族に嫁いだりするような大胆不適さもない。バンドメンバーの妻になっても、芸能界引退を宣言したわけではないので、自身がまだ商品価値を発揮できる余地を残している。

 空白期間はあったものの、グラビア活動を十五年も続けられた川村は平成のレジェンド的存在であって、令和になっても四十代、五十代になっても人前で水着姿になって男性たちの劣情を掻き立てる。“終身グラビアアイドル”の称号を手に入れられるか。そんなファンタジーを、僕は期待している。


ブレイク前の秋山莉奈

2020-10-12 10:18:04 | 日記
 僕の歴代オナペットは、基本的に十五歳から十八歳までの高校生世代で、先に触れた磯山さやかや佐藤寛子のような巨乳美女系と、小倉優子や福愛美のような美少女系に大別される。美少女系といっても、多少なりとも胸の立体感が強調されなければ素材になり得ないわけで、今思うと小倉に対して日課のように自慰に勤しみ、一作目の写真集「恋しくて優しくて」を一年以上保有し続けていたのか不思議でならない。

 小倉に対する性的興味がなくなっても、僕は美少女系を求め続けていた。二〇〇三年の末から〇四年初めの自慰を捗らせたのが、秋山莉奈の写真集「ゆっくり愛して」だ。僕はそれ以前に秋山の写真集を用いたことがあるが、少女臭さがぷんぷん漂う構成にあまり乗り気でなく、すぐに古書店に買い取ってもらった。しかし、彩文館出版から上梓された三作目は、いやらしい目つきで正面を見つめる秋山の白ビキニ姿と胸の立体感が窺える表紙に、僕は手に取るとすぐにレジに向かった。

 写真集を開いてみると、当時まだ十八歳ゆえに露出度が高くなかったが、何よりも表紙の秋山のとろんとした表情と「ゆっくり愛して」という扇情的なタイトルに、僕の股間はみるみるうちに硬くなり、〇四年の年頭を飾るオナペットとして独り身の正月を楽しませてもらった。その後、ほかの素材に気乗りしてそれを古書店に売ってしまったが、表紙の表情が忘れられなくて再び買ったことも記憶に残っている。同じ写真集を二回買うのは、これが初めてだった。

 秋山が「オシリーナ」の愛称でグラビア界を席巻するのはその数年後で、当時はまだマイナーの域に留まっていた。僕が十八歳以上の素材を用いるのはまれなので、秋山がメディアでもてはやされた頃は、すでに別の素材を探していたし、彼女のグラビアへの興味は失せていた。かつて散々お世話になったオナペットが大物になっていくのに何の感情も抱かないのは、僕とその素材との関係性は写真集という二次元空間でしかなく、しかも僕の一方的な性欲の発散にすぎない。「お世話になった」というものの、その素材の熱狂的なファンではない。

 だから、ソフマップなどで開かれるイベントに集まる人々のようにはなれないし、オナペットに実際に会えて感動する彼らの価値観を否定する気もない。僕個人の見解としては、実際に会ったところで自身に対する劣等感と嫌悪感がさらに増幅するのではないだろうか。しかも、その素材は絶対的ではなく、出版社は同年代のグラビアアイドルを次々と供給してくる。粗製乱造のシステムに乗っかかる形で、素材をとっかえひっかえしてファンとしての感情を持たないほうが得策なのだと、当時の僕は無意識にそう判断した。

 結局、僕のアイドルとしての定義は、歌唱力や演技力、トークスキルに長けているかどうかではなく、オナペットとなり得る魅力的な外見と肢体を持っているかどうかに集約される。だから、親衛隊を組織した先輩たちのように特定の素材に対して熱狂的になれないし、「推しメン」などとファン同士で明るく盛り上がることもない。自分さえ楽しめればいい、素材に性欲以外の感情を抱いてはならないのがオナニストの流儀だと思う。


写真集世代の懐古

2020-10-11 17:07:19 | 日記
 僕の二十代の自慰素材は、AVに代表される映像媒体ではなく、写真集や雑誌のグラビアがその中心を占めていた。週刊誌や漫画誌で自身の性欲が高まりそうな素材を見つけ、それらの写真集が上梓されるのを期待した。金曜日の夜になると、僕は郊外のセルビデオ店をはしごして新刊を探し、それを買うとすぐに自室に戻って一回目の自慰に励んだ。オナペットとして何カ月も所有し続けるのもあれば、買った日の翌日に古書店に買い取ってもらうのもあった。十回を超せばましなほうで、二、三回で打ち止めというのも少なくなかった。

 僕がお世話なった写真集の主な版元として、彩文館出版、ぶんか社、アクアハウス、バウハウス、竹書房が挙げられる。大手出版社がメジャーアイドルにしか目を向けないのとは対照的に、それらの版元はまだマイナーの域に留まっているタレントの写真集を積極的に上梓し、特に彩文館出版は僕のオナペットを数多く供給してくれた。先に触れた小倉優子の「恋しくて優しくて」、磯山さやかの「SOFT」もそうで、同社の目録と僕の記憶によると、これまで約四十作品を買ったことになる。

 二〇〇三年に最多自慰回数を記録した、前園りさの「楽園~秘密の花園~」、佐藤寛子の「水蜜桃」の二作品は、ともにぶんか社から上梓された。竹書房は彩文館出版やぶんか社で一作目か二作目を発表したタレントに目をつけるようで、佐藤もその流れに乗って同社から学習研究社、小学館、新潮社へと大手出版社にも相手にされるようになり、メジャーへの階段を上がっていったが、僕はそのときすでに佐藤に対する性的興味は失せていた。

 小倉や磯山、佐藤のようなメジャーに成り上がったグラビアアイドルよりも、写真集を一作品発表しただけで目立った芸能活動もなく消えていったオナペットを、今でも懐かしく思う。〇三年に前園に次いで自慰回数を稼いだ三枝史歩はその一人で、「Pretty Milk」という作品を発表しただけの知る人ぞ知るロリ巨乳系のマイナーアイドルだったが、十六歳とは思えぬ成熟した肢体と胸の谷間の美しさに、僕はすっかり虜になってしまった。イメージDVDも同時発売したが、当時は手淫ではない自慰方法を確立していたので、写真集でひたすら我慢した。

 三枝の芸能活動が確認できるのはこの写真集だけで、インターネットで調べてみても写真集以外の情報はない。たまにオークションサイトで写真集が出品されることもあるが、ヒット出版社というマイナーな版元ゆえに初版部数も少ないだろうし、いかんせん知名度が低いから市中に出回るのもまれだ。先日、神保町の荒魂書店を訪ねる機会があったが、三枝の写真集は見つからなかった。

 まるで「お菓子系」のような活動期間の短さだが、二十代の僕がそれに夢中だったように、三枝はメジャーになったグラビアアイドルよりも、ずっと記録と記憶に残るオナペットだ。十八歳以下のモデルによる水着姿の写真集が粗製乱造されたおおらかな時代の中で、性欲旺盛の僕はロリ巨乳系と美少女系の写真集を使い分けながら、而立を迎えることになる。