いい覚悟で生きる・言葉の処方箋(世田谷深沢カフェ)

無理せずに、言葉による処方箋からいただいた「がんは病でも病人ではない」ことの思いを中心に語ります。

日めくり「人生を変える言葉の処方箋」・・・・・2020年8月11日㈫

2020年08月11日 | 日記
☆☆☆涙とともに種を蒔く人は人生の意味を知る☆☆☆

ゲーテは「涙とともにパンを食べた者でなければ人生の味はわからない」と言いました。
人生には艱難辛苦は付き物です。でも、苦悩するから物語が生まれます。
心の海の底に沈んだ自分をもう一度浮かび上がらせるには、嵐などでその海が荒れたほうがいいのでか。

2011年の妻の第1回目の「がん」告知から手術や抗がん剤治療を続けた4か月の期間の課程での様々なことが、現在の夫婦でがんを認めつつ息子たちと「今日を楽しく過ごす」につながっていると思います。
私の、仕事と野球のに集中してばかりいた時の、息子の母への思いを、「俺も母さんと一緒に苦しむ思いに付き合って、仕事の帰りは、病院のいる母さんに、涙顔も心配顏なんか見せずに俺の頑張っている顔を見せ続ける」
当時、妻が好きだった「ゆず・・栄光への架橋」を録音して母の枕もとで、黙って聞かせていた。
16歳から26歳まで、引きこもりニートを経験したときの、私たち夫婦の「黙って文句を言わずに、同じ家の中に置いてくれたお返し」と述懐してくれた。
その後の夫婦でのがんとの治療や経過観察の励みになりました。
明日の早朝から、何十年ぶりだろうか、、、、この、コロナ禍の中において北海道の旅に、家族8人で行ってくることになった。
physicaldistance等は注意しながらも、、、、
コロナ禍での、異常な人間のメンタル的な現れ・・自粛警察、東京都民を除外etc
なにか、祖母や父から聞いた大戦前を思い出すことは、私のへそ曲がり精神か?
がんになった時の「家庭・夫婦・職場の対人関係」に一番悩むとの思いを感じてはならない。これからのカフェでも、「苦にならないホッとする場・・空っぽの器」を用意していきたい。少しでも長く「種を蒔く人」でありたい。
下の写真は、昨年の秋の「秋田、山形の野球の講習会」の時に寄った秋田市土崎図書館蔵大正期に生まれた労農運動の創刊号「種まく人」(即発禁)の表紙
帰京しましたら、ブログをつづります。猛暑が続きますので、ご自愛ください。・・・・・・行ってきまーす💑




「日めくり」人生を変える言葉の処方箋・・・・・・2020年8月6日㈭

2020年08月06日 | 日記
☆☆☆種を蒔く人になる☆☆☆

私たちはそれぞれ、種を蒔くという役割があります。その種がどのような実を結ぶかはわかりませんが、種を蒔くことが、あなたの役割です。どうか良い種を良い地に蒔いてください。
あまり一生懸命に遠くまで、広く、と思う必要はありません。鳥は色々な種をくわえては地に落とします。そのように、だれが選ぶかわからないのです。どこかで落ちた種は時がくれば芽を出し、成長し花が咲きます。自分で蒔いた種がどこまで育つか責任を持つのもよし、人に任せるのもよしです。
           
             樋野興夫(順天堂大学名誉教授・医学博士)著書より

2020年6月27日「がん哲学外来メディカル・カフェin世田谷深沢」は、樋野先生の特別記念講演「人生を変える言葉の処方箋・病気であって病人ではない」とのテーマで50名の方の参加でオープンした。
閉会後の懇談会で先生から「三年間は続けるのだよ・たとえ参加者が少なかろうとも」との言葉をいただきました。
そして、私たちの仲間で分担しあい「第2回のカフェ」(2020.7.25)に18名の参加者で「ホッコリとしたカフェ」との雰囲気で対話の場が開かれました。
同時並行して、「教会の視聴覚担当」のご協力で、「講演のDVD」を30枚ほど焼付しして、参加者の方に贈ることが出来ました。
昨日、帰宅するとポストに手紙がはいっていて、開封すると、「DVDのお礼と、、」次の文書に喜びました「耳の遠い私にとって、何度も一時停止したりして繰り返して書きとることも出来ました、、、、これからの人生に「樋野先生のお言葉を私の処方箋として心の支えにします、、、。」
種を蒔けたことと、この深沢に「空っぽの器を用意してカフェを続けます」・・・・・・・一年前の病院での広報誌での「樋野先生のがん哲学外来」を見ていなければどうなっていたのだろうかと、、、、きっかけと出会いを大切にして「yorisobito」に成長したいとの思いで一日をしっかりと楽しんで暮らします。