いい覚悟で生きる・言葉の処方箋(世田谷深沢カフェ)

無理せずに、言葉による処方箋からいただいた「がんは病でも病人ではない」ことの思いを中心に語ります。

「日めくり」 人生を変える言葉の処方箋・・・・・・2020年4月30日㈭

2020年04月30日 | 日記
☆☆☆人生は「ちびた鉛筆」☆☆☆

マザー・テレサは語りました。「私は、主のみこころを記すための鉛筆です。」
田舎町で育った私は、少年の頃、物を大切にしていましたし、鉛筆も我慢強く、丁寧に使い、宿題を完成させていましたた。大切なのは鉛筆の長さではなく、鉛筆を使って何を描くか、です。
三浦綾子さんは、「死ぬという大切な仕事がある」と語りました。
いつかはだれも死にますが、そのいつかはだれにもわかりません。
死を迎えるまで、何を使命とし、生きるのか。
自分の人生をプレゼントとして人に与える、これが最後の仕事です。

樋野興夫(順天堂大学名誉教授・医学博士)著書より

私の小学校から中学生までの筆記用具は鉛筆でした。低学年の時は、祖母が鉛筆を何本が包丁使ってくれました。
祖母は口癖のように、「鉛筆の中にある芯がある限り短くなっても最後まで使いなさい」と、、、
段々と、シャープ゜ペンシルが目の前に来ましたが、鉛筆を使いきった思い出が残ります。
使い切るということは、物を大事にしなさいということと、たった一本の鉛筆でも、自分の勉強に役立つと教えてくれたと思います。
高校時代から(1960年代)から、周囲の物がいっぱいありましたが、使い捨てではなく自分や人のために使いみちを教えてくれたと思います。
自分の身体の状態も考えながら、ボヤキや悩みの坩堝にハマることのない、せっかく、Ⅰ型糖尿や、がんになったのだから、いかに、今を生きるための使命をいただいたのだからと、人とし生きて死ぬまでに、病に悩む方に少しでも役に立ちたいとの気持ちを持ち始めてきています。

表紙の写真は、祖父母の新潟糸魚川・・・昨年の夏前の稲穂が育っている風景です。
この「コロナウィルス」の自粛がなけれは、田植えの手伝いをしていましたね、、、


「日めくり」 人生を変える言葉の処方箋・・・・2020年4月29日㈬

2020年04月29日 | 日記
☆☆☆本当にいいものは、ごみ箱の中にある☆☆☆

本当にいいものは、お金がかかったり、どこか遠くに行かないと手に入らないようなものではありません。
ゴミ箱のようなところにこそ、あるのです。病気のことばかりに心をとらわれず、探してみましょう。だれにでも探そうと思えば探せるところにあるのです。
神の子であるイエス・キリストはどこで生まれたのでしょうか。
決して綺麗とは言えない家畜小屋です。そこに光があります。

樋野興夫(順天堂大学名誉教授・医学博士)著書より

私たち夫婦も、がんを告知されても、なぜ私が?・・・・・病院巡りの経験ををしました。
どこかに、自分に良いことをと言ってはくれないかと彷徨っていました。
がん告知を認められずに、がん=死とのことしか考えられずにいましたが、結局は遠回りしても最初の病院へとなりました。
辛い治療もありましたけど、互いに経過観察を受けながらも、余命〇〇年を過ぎて現在に至っています。
その秘訣というか、がんを認めながらも今日一日を生きていくことに考えが一致しました。
私たちの先祖の遺伝とか、生活習慣とかを、あまり深く追求せずに、自分たちにも生きて活かせる役割があると思った時からは、心の重荷は軽くなっています。
あのサプリがいいとかいうことから、私たちの住む家庭などにに良いものがあるのではないかと、無理に背伸びしないで無意識に捨てていたものの中を取り戻そうとの考えになりました。

この写真は、昨年秋の秋田県の野球指導者の若い方への懇談会の後に寄った「秋田ナーシャの庭」・・・・・心が落ち着きました。

「日めくり」 人生を変える言葉の処方箋・・・・・・2020年4月26日㈰

2020年04月26日 | 日記
☆☆☆ ほっとけ 気にするな☆☆☆

本当に大事なことは多くはありません。ほとんどのことはどうでもいいことです。
命にかかわることはもちろん大事なことですが、がんが再発するかもしれない、がんが再発するかもしれない。余命はどれくらいだろう、子どもの将来の生活は・・・・・・
と まだ起こってもないことを心配する必要はないのです。
起こったら、起こったときです。過去のことも未来のことも、ひとまずおいて、今を生きましょう。

樋野興夫(順天堂大学名誉教授・医学博士)著書より

私たち夫婦の9年間のことを振り返ると、がんと宣告されたときからの手術や抗がん剤治療を受けてからの数年間は、再発や転移のことで頭がいっぱいで、理解しあっているように思っていても、心の中では「ああ、、」という家庭空間でした。
4年過ぎたころから、「がんを認めながらも、しっかりと治療受けて、今日一日を生きて明日につなげよう」との思いの中間点に到達しました。
そして、通院している病院の広報紙で、樋野先生の「愛の言葉による処方箋・カフェ」のインタビュー記事を見てから、数か所の「カフェ」を訪ねて、参加者がお茶を飲み、お菓子を食べながら、がんと共存しながらも、いかに生きていくかとのことを気楽に対話している姿から、帰宅する時にはいつもホッとする喜びをいただきました。
24時間中、がんと離れている時間がありますよ、家庭や職場でも人間関係の中で、相手の話をしっかりと聞く、そして、寄り添い支えあうことができることには会話のやり取りでなく、双方向の対話が大事と、そこに、愛の言葉が出るような人との交わりが、私が生きていくため利役割なんだ、せっかく「がん』になったことを前向きに生きていくことに喜びが生まれ、このまちで「がん哲学外来メディカルカフェ」を開くことができることになりました。
いま、現在、「コロナウィルス」で、感染予防のために、自分からのリスク低減に努めましょう。
我が家では「手洗い・うがい・マスク」の他に
①%SPO2・・血中酸素濃度測定&脈拍・・・95%以上を保つことが必要
②体温計・・個人の標準体温には差はあるけど、37度を超えたたら注意してます。

今日の写真は「%SPO2」・・無妻の2年前の肺腺癌時に主治医からの推奨品です。
皆さんと共に
苦痛や辛い時、不安の時も・・絶対陽がさしてくれる日が来ると信じて歩みましょう。

「日めくり」 人生を変える言葉の処方箋・・・・・・・2020年4月25日 ㈯

2020年04月25日 | 日記
☆☆☆器を空っぽにすると、新しい水が満たされる☆☆☆

人生とは、空っぽの器に水が入っても穴が開かないように、頑丈にしていく訓練であり、空っぽの器に水を入れてもらうことです。
最近は自分でせっせと水を入れて、満足している人が多いように思いますが、ふとしたきっかけで、例えばがんと宣告されたり、会社を解雇されたりしたときなどに、簡単に器に穴が開いてしまいます。
そうならないためには、濁った水は潔く捨て、新しい頑丈な器を持つことです。

樋野興夫(順天堂大学名誉教授・医学博士)著書より

先週のブログにて、私が50歳で会社を辞めたことをの綴りました。父の死で、今まで働いていなかった母が、N着付け教室に通い、デパートの着物売り場や、美容室の着付けなどの仕事を、末っ子の私を高校から大学へといかせると背中を見たとき、大学進学を断念し、社会人野球で有名な企業に勤めました。
それからは、紆余曲折を味会い、組合活動から、中間管理職に転じて、自分がやってるんだとの「うぬぼれ」が大きくなって、仲間や部下に対しても、自己の考え方と、会社の方針を一方通行で語っていました。人に負けたくない、後ろ指をさされたくないと、、朝は始発から終電で、任された営業所を守りとおすとの気持ちばかりで、会社はもちろん家庭でも自己中心的にふるまっていました、、、48歳の時、3回ばかり、ホームで電車が入ってくるときに、無意識に吸い込まれて歩き出し、側にいた方に後ろから羽交い絞めされて命を保つことが出来ました。
それから、1年休職し心療治療を受けて、あるとき、会社からの退職を強要?(退職勧奨)。私の心身(器)に、人との対話も、聞き手にもなれなく「濁りきっていた」と述懐します。
やはり、自分の器である心身の穴を開けないようにしながら、濁り水を捨てて、きれいな水である「双方向の対話のコミニケーション」を大切にしていくと決心し、高校野球の指導にかかわることができ、選手や指導者とも常に、自分のプライドなど捨てて、野球を上手くなることより、好きで続けられるとの思いを「ツーウェイコミ」でしていられることに、一つの喜びを感じています。
人間関係の中では、多様な性格を尊重して、聞き手となり対話することが、人としての愛で「寄り添い合う・支えあう」ということになると理解してきました。

写真は・・・・母の好きな花が、今年も植木鉢に咲き始めました。

「日めくり」 人生を変える言葉の処方箋 2020年4月24日㈮

2020年04月24日 | 日記
☆☆☆ 沈黙も 「わからない」 も愛 ☆☆☆ 

病室にお見舞いに行ったとき、言葉を交わし合う会話だけが大切なのではありません。「意外に元気じゃない?」仕事のことなんて忘れていいからね」など、沈黙に耐えられず、余計な言葉をかけるより、病室で30分、お茶でも飲みながらのんびり過ごすほうが患者さんはやすらぎを感じるかもしれません。なんて言っていいかわからないから行かない、ではなく、ただ側にいることが人を慰めることもあります。
これが対話です。
言葉は魔物です。思ってもいない言葉で傷つけそうな時は黙る、そしてわからないものはわからないと言いましょう。
内村鑑三は、でしの矢内原忠雄から悩みの相談を受けた時「わたしもわからない」と答えました。わからないことはわからないと真剣に応えてくれた内村に、矢内原は大きな慰めを受けたのです。

樋野興夫(順天堂大学名誉教授・医学博士)著書より

今日も、「新型コロナウィルス」の惨禍や感染防止のための、メディアなどが自治体の訴えなどを報じています。今朝の東京新聞の記事の中に、「各国の首相の支持率の変移が、、、、ドイツのメルケルさん80%にアップ、、安倍総理は40パーセントに急降下と・・二人の取り組む姿勢の違いが、民のために真剣に施策を打ったり、感染予防の自粛を訴えているかの違いと、、、パフォーマンスより、真摯に民のために真剣に対処しているかとのことだと思います。
今日のブログとも関係なくはありません。
私たち家族は、この2週間、食卓やリビングで、各自していることは違いますが、最低30分は一緒にいることにしています。各自の好きなことをしながら、変なお節介もなく、沈黙ながらも、今日も3人でいることが愛と喜びではないかと思います。
樋野先生も言われていますが、私も妻ががんになって半年たった時に「私の悩みの半分は夫の・・冷たさ・・仕事に、野球にと、自分を思ってはないのかと」
2年後に、私ががんになった時は「栄養バランスとって食べてね、、、食欲がなくてもすすめる」・・お節介・  こういった、夫婦も含め家族、職場との人間関係の中での(冷たさ・お節介)は日本人の特有と言われています。
私たちは、お互いの人間関係を考えて寄り添って支えあうために考えていたことは、がんを認めあっての生活をしていくために、一方的な会話でなく、お互いの気持ち(文句と期待)を大事にしていくことでした。
今回の「コロナウィルス」での、「家で過ごそう」のなか、沈黙ながらも30分でも、一緒の場にいられる幸せを感じました。
ちなみに、妻は区立中学で、亡くなった岡江さんは、すぐ近くの国立付属G中で、リズム体操会サークル交流で数回あったことがあると・・・1956年生まれ 63歳
心からお悔やみいたします。合掌

今日の写真は、2年前に旅した、盛岡・・・・岩木山と北上川と樹木のコラボ
新鮮な「ホヤ貝」で美味しい日本酒後に「盛岡冷麺」・・・・また行きたい盛岡へ

辛い時も、涙する時も、希望を一緒に持って「上を向いて歩こう」♬