☆☆☆人生は「ちびた鉛筆」☆☆☆
マザー・テレサは語りました。「私は、主のみこころを記すための鉛筆です。」
田舎町で育った私は、少年の頃、物を大切にしていましたし、鉛筆も我慢強く、丁寧に使い、宿題を完成させていましたた。大切なのは鉛筆の長さではなく、鉛筆を使って何を描くか、です。
三浦綾子さんは、「死ぬという大切な仕事がある」と語りました。
いつかはだれも死にますが、そのいつかはだれにもわかりません。
死を迎えるまで、何を使命とし、生きるのか。
自分の人生をプレゼントとして人に与える、これが最後の仕事です。
樋野興夫(順天堂大学名誉教授・医学博士)著書より
私の小学校から中学生までの筆記用具は鉛筆でした。低学年の時は、祖母が鉛筆を何本が包丁使ってくれました。
祖母は口癖のように、「鉛筆の中にある芯がある限り短くなっても最後まで使いなさい」と、、、
段々と、シャープ゜ペンシルが目の前に来ましたが、鉛筆を使いきった思い出が残ります。
使い切るということは、物を大事にしなさいということと、たった一本の鉛筆でも、自分の勉強に役立つと教えてくれたと思います。
高校時代から(1960年代)から、周囲の物がいっぱいありましたが、使い捨てではなく自分や人のために使いみちを教えてくれたと思います。
自分の身体の状態も考えながら、ボヤキや悩みの坩堝にハマることのない、せっかく、Ⅰ型糖尿や、がんになったのだから、いかに、今を生きるための使命をいただいたのだからと、人とし生きて死ぬまでに、病に悩む方に少しでも役に立ちたいとの気持ちを持ち始めてきています。
表紙の写真は、祖父母の新潟糸魚川・・・昨年の夏前の稲穂が育っている風景です。
この「コロナウィルス」の自粛がなけれは、田植えの手伝いをしていましたね、、、