『あなたが人生に期待できなくなっても人生から期待されている』
人生にはわからないことが山ほどあります。自分でコントロールできることについては、努力し、自分でコントロールできないことに対しては心配するのはやめましょう。余命宣告でさえも、あくままでも七割の確率。確率であって確実ではないのです。
人生に期待できなくなり、自分自身に希望が持てなくなっても、あなたは人生のほうから期待されている存在なのです。苦しみの中で、それを実感する深い学びの時が与えられているからです。
樋野興夫(順天堂大学名誉教授・㊓がん哲外来理事長)
今月2月27日の「がん哲学外来メディカル・カフェin世田谷」も先月と同じく会場とZOOMで開催することにしました。
前回の参加者の方から、遠隔地でも交流できる場・グループルームで対話の中でつながりたいとの声には励まされ感謝しています。
私、自身も前回のカフェでお会いした大分県のAさんの「緩和治療」のブログ集録を視聴して、緩和治療に正しく向かうことを学び、主治医にはっきりと苦痛などを説明し治療の指示をもらうこととが出来て、夜中のオキノームの服用量も少しばかり増やし、睡眠剤も併用してから、痛みも和らぎ睡眠もとれるようになりました。
人との出会い・一期一会「寄り添う・寄り副う」ことの大切を今後のカフェで活かしていきます。
私どものカフェの参加者と、大阪のカフェの方と交流も始まり、今月のカフェでのZOOMであっても合えることを楽しみにしていること嬉しいことです。
樋野先生も色々な講演の中で、一日一時間でも本を読んだり、外に出ること・・午前中の緑道をゆっくりと歩いてます。この10日間冬から春が目の前にと気持ちが晴れます。
先日の礼拝の際のクリスチャン新聞で「柏木哲夫先生・心を癒す55のメッセージ」コラム”集める人生、散らす人生"
筆者の柏木先生の記事を読んでのこれからの私の人生の糧「今のカフェを継続することによって、がんと共存しつつ"人生から期待される”人としてありたい。
「確かに人生は人々にはまた、幸、不幸だけでなく「集める人生」と「散らす人生」がある、、「集める人生」と言うのは悪い言葉で言えば「自分のために生きる人生」、、備蓄する、知恵を集める、周りからさまざまなものを集めながら送る人生は多かれ少なかれ自分も含めそういう側面を持っていますが、「散らす人生」を生きている方も実存しています。自分が持っている技術や才能、持ち味を一生懸命他人のために散らしながらも(分け与えながら)生きている方です。
「受容能力」という精神医学や心理医学での学者の存在・・自分にとっては不都合なことが起こったとき、不治の病に罹ったとき、その不都合の中にも人とし生きることを見せる「受容能力」であるが、多くの研究によるとどうも、「散らす人生」を送って来た方が「集める人生」を送ってきた方よりも受容能力が高く、不都合の中でも人とし生きることが出来るようである。
私たちは、完全に散らす人生を送れません、限界もあります。しかしながらも限りながらも「散らす人生」・・・・樋野先生の言葉の中の「私がそこにいるだけで価値があり、高尚なる生涯をおくり、遣わされた使命をまっとうする」
今日のタイトルの「人生から期待される」覚悟を持ってカフェで集う方と「寄り添う・寄り副う」気持ちを忘れないで歩んでいきたい。
柏木哲夫著「心を癒す55のメッセージ」より抜粋・私感
『神はあなた方にあらゆる恵みをあふれるばかりに与えられることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです、、、貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠にとどまる』(コリントへの手紙第2・9章8~9節)
この数日の読書からの学びでした・・・聖書の御言葉の糧に感謝・・・
さて、前回のブログでの「あかさたな・・・はまやらわの言葉の法則」
今回は「さ行」
さ 騒いでも何にも始まらない
し 深刻にならないこと
す 好き嫌いで判断の是非はしないこと
せ 成長する前にはには必ずや試練艱難があること
そ 外に出て視野を広げること
次回は「た行」・・・考えます。
今回の表紙は、私の活動の中での一つの「犬・猫の殺処分を防ぐ」グループからの友人の保護した「一緒にホッとしている」写真です。
2021.2.27のカフェの準備「空っぽの器のホッコリする場」の準備してお待ちしています。
皆様にとって平安をとお祈りいたします。