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★「平昌がホームラン」外信記者が拍手…キム・ヨナは映像事故にひやり
2018年冬季五輪開催地を選定する国際オリンピック委員会(IOC)総会で行われた平昌の最終プレゼンテーションが終了したあと、外信記者が「平昌がホームランを放った」と話した。
6日南アフリカ・ダーバンの国際コンベンションセンターで開かれた平昌プレゼンテーションは感性を刺激した。「新しい地平線の肖像」というタイトルのクロージング動画は、この中でも圧巻だった。冬季スポーツの発展途上国の子どもたちが登場して、「新しい地平線(New Horizons)」を1人ずつ定義していくという方式で物語が始まった。砂場でアイスホッケーのパックを飛ばし、スケートやスキーの代わりにローラースケートを滑るこの登場人物は、平昌のドリームプログラムに参加した子どもたちだ。このプロジェクトは、冬季体育において疎外された子どもを招待して体験の機会を与えるというもの。
動画の上映が終了してプレゼンテーションの終了を知らせると、並んで座っていたIOC委員らの席から拍手とともに口笛が聞こえた。
冬季スポーツの裾野を発展途上国地域に広げていくこと、その始発点に平昌があること、そしてこのすべての過程がオリンピック精神を具現化するという平昌の主張が非常に説得力を持って伝えられた瞬間だった。結果的に平昌の冬季五輪誘致を支持しなければ、冬季スポーツの疎外地域の夢と希望をかき消すことになるというフレームをひそかに含めていたと解釈された。
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キム・ヨナの演説は画龍点晴だった。
発表者の名前が呼ばれた時に口笛が聞こえたように、キム・ヨナは皆に好意を抱かせる、ときには威厳のあるフィギュア女王だった。
ややもすると硬く退屈になるインフラ紹介映像のナレーションをキム・ヨナが務め、優しい雰囲気と聴衆の集中力が途切れることなく保たれた。映像上映の際、メディアセンターで数秒間、映像と声のミスマッチが起こるという小さな事故が発生して誘致団を緊張させた。
ミュンヘンとアンシーのプレゼンテーションとは違い、平昌のプレゼンテーションが終わると外信記者も拍手をした。外信記者は「涙あり、笑いありだった。ホームランを放った」と話した。独記者も「最も素晴らしいプレゼンテーションだった」と言って事実上の敗北を認めた。プレゼンテーションゲームは平昌の圧倒的勝利で終わったのだ。
★招致確定の瞬間、招致団は立ち上がり歓呼
ジャック・ロゲ国際オリンピック委員会(IOC)委員長が韓国時間7日午前0時、2018年冬季五輪開催地として「平昌、コリア」と読み上げた。瞬間、李明博(イ・ミョンバク)大統領と趙亮鎬(チョ・ヤンホ)招致委員長、鄭柄国(チョン・ビョングク)文化体育観光部長官、朴容晟(パク・ヨンソン)大韓体育会長、キム・ヨナ選手ら招致団は立ち上がって歓呼した。
ロゲ委員長とIOC開催都市間契約署名式を終えた趙委員長は、「約束を最後まで履行し立派な五輪を行う」と述べた。朴大韓体育会長は、「冬季五輪まで招致したことで韓国は名実ともに国の地位をアップグレードすることになった」とした。
外信も平昌の勝利を認めた。英日刊紙テレグラフのジャクリーン・マクネイ五輪エディターは、「アジアでの冬季スポーツ拡散という五輪遺産を強調してきた平昌招致委の戦略が効果的だった」と分析した。ミュンヘンのカタリナ・ビット執行委員長とトーマス・バッハIOC副委員長も祝った。
★江原道平昌、10年ぶりに冬季オリンピック誘致!
江原道(カンウォンド)平昌(ピョンチャン)がついにオリンピックの夢が叶った。2度の失敗を乗り越えて圧倒的な票差で2018年冬季オリンピック誘致に成功した。
平昌(ピョンチャン)がダーバンIOC総会で得られた表は、なんと63票。全95票のうち過半数をはるかに越えて、25票を獲得したミュンヘン、7票にとどまったアヌシーを圧倒した。特に、10年の間の粘り強い挑戦の末に誘致に成功し、勝利の喜びはさらに大きかった。
IOCと開催都市契約を締結した平昌誘致委員は、近いうちに、組織委員会体制で大会準備を始める。二度の辛い痛みを乗り越えてついに夢を果たした平昌(ピョンチャン)、7年後の成功的な大会に向けて力強い歩みをスタートする。
(ニュース記事より)
平昌(ピョンチャン)がオリンピック誘致を果たしそうだとは感じていた。だがこれほどの大差でそれを勝ち取るとは予想できなかった。
全95票のうち、過半数どころか3分の2以上の票を取った。この結果は平昌(ピョンチャン)大会への期待の高さをうかがわせるものと言っていいだろう。
―― キム・ヨナの演説は画龍点晴だった。
彼女の達者な英語を駆使しての演説はたしかに見ものだったかもしれないが、オリンピック女王としての存在感自体もそうだったのではあるまいか。
平昌(ピョンチャン)は10年越しの運動で念願のオリンピック招致を果たした。二度の失敗を糧に十分の備えでこれに臨み、報われた形だが、この成功は二つの追い風に乗ったからではないか、とひそかに僕は思う。
ひとつはバンクーバーでのキムヨナの金メダルだ。
ともかく内容がよかった。世界のフィギュアスケートのファンを感動の渦で沸き立たせたからだ。大きなスポーツ大会には金メダル以上のプレミアをつける選手が必ず出てくるが、間違いなく彼女もその一人となった。
しかし、バンクーバー大会の後、平昌(ピョンチャン)のオリンピック招致に暗雲がたちこめる。戦略の建て直しを検討せざるを得なくなる。彼女の引退が取りざたされるようになったからだ。
彼女が引退してしまったら、オリンピック招致の動きに支障が出るのは目に見えている。大きな柱の一本がなくなるも同然だったからだ。
バンクーバーで金メダルを取り、目標の喪失した彼女にとっては、その時がスポーツ選手としての大きな危機だったと言える。世界選手権の結果をあげるまでもない。その頃、彼女は真剣に引退を考えていただろう。
その時、彼女が見据えていたものは何だったろう。
ブライアン・オーサーの言葉がいみじくもそれを象徴した。
「彼女なら3Aが飛べる」
キムヨナはその言葉を受けて悩んだ。
――さらに超えていくべきか、それとも深めていくべきか。
悩みぬいて決断を下した時、ブライアン・オーサーの言葉は消えた。
――深めていこう。
そして、彼女は現役続行を表明した。
今年の世界選手権で、彼女は僕らに成果の途中を見せてくれた。
「オマージュトゥコリア」と「ジゼル」がそれだ。
僕の目にこれらはすばらしかった。彼女は現役選手としていい決断をした。そう思う。
もうひとつの追い風はヨーロッパにまで波及したK-POPの風だ。この風はソーシャルネットワークを通じて世界中に吹き渡っている。アフリカや南米の奥地でこれらの歌を聴き、踊っている人たちがいる。先進国のイギリスにだって韓流グループをつくり、歌やダンスを楽しんでいる人たちがいる。
一国の代表者で投票権を握っているような偉い人たちも、憩いのひとときに音楽くらいは聴くだろう。
その中の幾人かはK-POPにふれ「東方神起」や「少女時代」の音楽を聴いているに違いない。
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キムヨナの歌だって聴いた者はいるかもしれない。
IOCの仰々しい集まりにおいても、世界の大衆の好奇心や関心は着実に反映してくるようになっているのではないか。
オリンピック招致の一次投票で、95票中63票も集めたような平昌(ピョンチャン)の圧倒的勝利に首をかしげながら、僕はこんな空想にひたったりしているわけである。
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