アテネオリンピックの百メートルで金メダルを取ったアメリカのガトリン選手にドーピング疑惑が出てきている。やっぱり、あなたもか、である。
速く走りたい。遠く飛びたい。力持ちでありたい。美しく舞いたい。これらのすべてのモデルは地球上にいる他の動物であると言っていいだろう。
ガトリンがいくら速いと言っても、世界最速の狩人であるチーターにはまったくかなわない。
チーターが百メートルを駆け抜けた時、人類でいちばん速いガトリンは、やっと六十メートル手前のはずである。飛ぶのだって猫科の動物や馬などにはかなうまい。マラソンは犬や草食動物に負けるだろう。泳ぐのは魚やイルカに勝てない。
そして踊りや舞いのモデルは蝶や鳥にあるだろう。
運動神経において他の動物より緩慢、そのことによって人間は頭脳を発展させてきたと言える。文明を発達させ、衣食住を整えて余暇を得た人間が、他の動物をモデルにスポーツを生み出したのは必然の遊び心と言えるだろうが、ここへきてそれらは少々苛烈なものとなってきているようだ。競争が激化した結果、それらの限界に挑む選手が薬物に手を染めていくのは、ある意味必然かもしれない。
しかし、そろそろこれらの意味の問い直しをしてもいい頃かもしれない。
ヒトにはヒトの能力の限界がある。薬物の手を借りてでも、自分の身体に限界以上の負荷をかけるのは、もはや超人志向という他ない。限界を超えてやり続けてDNAに異変が生じ、たとえ新生超人になったとしても、それを今の僕らが受け入れることはできないだろう。
なぜなら、スポーツで目指していることはそういうことではないはずだからだ。
新記録もいいが、薬物の力を借りてまで限界以上をめざす必要はまったくない。今までどおり、人間は頭脳優先の緩慢動物でいいじゃないか。