豪雨地帯の恐怖
今年の梅雨は長引いた。すでに七月末だが、まだ明けていない。しかし、どうやら明けるのであろうか。
ともかく遅い梅雨明けとなる。
今年も九州地方では豪雨による被害が相次いだ。犠牲者も多数出た。千葉ではさいわい被害はなかったが、災害のニュースを目にするたび、田舎では危険な場所に住んでいる人たちがたくさんいるんだな、の思いを新たにする。
山の斜面や川沿いに張り付いて住んでいるのだろうから、当然といえば当然の話かもしれない。山は崩れるものだし、川は氾濫するものだからだ。
地球温暖化の影響もあるのか、近頃は集中豪雨の傾向があるように思えてならない。排水や土手の整備も進んできてるだろうに、都市を形成する平地もすぐ水浸し、氾濫に追い込まれることが多くなった。
この間はテレビで家が流されるのを見てしまった。家を氾濫の川に奪われた人には同情以上の悲しみや不安を覚える。
自分たちは海岸の街に住むが、東京湾は大丈夫なのであろうか。地震でもあって大きな津波が押し寄せれば、ちっぽけな僕んちなどはひとたまりもないだろう。
いや、それよりも子供の頃のことを思い出してゾクリと背筋に冷たいものが走るのを覚える。
子供の頃、僕は両親とともに山奥の村にあった。そこは日本でも有数の豪雨地帯で一晩に一千ミリの雨が降ったことのあるところだ。父は炭を焼き、木材を切り出す仕事についていた。あのあたりはほんとに雨がよく降った。台風の影響も受けてよく降った。V字谷の底を流れる川の近くか、山腹に集落はあったが、僕らの家は山腹にあった。山の斜面の少しゆるんだところに集落はできているが、それでも多くの家は斜面を削り、石垣で平地をつくり、そこに建てられた。
僕の家も高い石垣の上に乗っかる格好で立っていた。大雨が降ると家の周囲に大量の鉄砲水が出た。斜面や道から泥をさらって石垣のへりへと流れ落ちていった。大雨が降ると両親は過敏に反応していたが、僕にはその恐怖が見えなかった。しかし今思えば、あの石垣の家はじつに怖い場所にあった。土が緩んで石垣が壊れれば僕らの家は十数メートル下にまっさかさまだったのである。
九州の人たちの遭った被害はだから他人事ではない。