阪神星野SDが亀田擁護「いじめるな」
2006年 8月 5日 (土) 10:15
阪神星野仙一SDが、亀田を擁護した。4日に更新した自身のHPのコラムで「亀田をあまりいじめるな」と題し、「亀田興毅の世界戦へのバッシングはなにか、あの若いボクサーの勝利をよってたかってくさしているようで、かわいそうな気がする」と述べている。星野SDは2日の世界戦も観戦。亀田家と直接の面識こそないが「親を殺すなど、子1人にてこずっている時代に、3人とも親父のことを神様のように言うことを聞いているのはたいしたもの」と話していた。コラムでは「あれだけスター性を持っている若いチャンピオンをいじめるような空気を助長するようなまねは、少なくともメディアは慎むべき」と過熱する報道に苦言を呈している。
問題は阪神星野仙一SDにまで登場願って、「亀田をあまりいじめるな」と言わせねばならない判定の方であろう。亀田興毅選手はよくやったと思う。十九歳の年齢を思えばなおのことである。少なくともあの試合を通じて、彼が世界第一線のレベルに近いということは証明した。
しかし、あの判定はどう考えても変だ。最初の被ダウンを差し引いても、あの試合はドローがいいところである。当たったパンチは亀田選手の方が重いなどというのは理由に過ぎない。相手はピンピンして動いていたのに、11ラウンド、亀田選手の方はランダエタ選手の軽いパンチを受け、今にも倒れそうになっていた。これをどう説明するのか。
判定がどうにも変だったから、それが亀田選手へのバッシングに転調したと見るのが妥当のところであろう。強気で売ってきた亀田選手もそれを認めたからこそ、納得のいかなかった試合をああいう形でしめくくったのだろう。
地元の利と言っても、度が過ぎれば醜いことになってしまう。負けてもよかったではないか。大口叩いてこのザマは何だと言われてもよかったではないか。いけないのはこういう結果を生んだことである。亀田親子の過激なパフォーマンスがそれに追い討ちをかけたというべきなのだろう。
僕が不思議に思うのは、こういう騒ぎになった段階で、チャンピオンベルトの返上かつ再戦をどうしてすぐに申し出なかったのだろうということだ。亀田親子の熱血パフォーマンスはそういう潔よさを即見せることと一帯という気がする。正しさと逆行したところでそれをやると、熱血パフォーマンスは失望や嫌悪に変わってしまうということをこの騒動は示しているのである。
判定疑惑の汚点は亀田親子だけに着せられるものではないが、それはそれとして受け入れ、チャンピオンベルトの返上、再戦がいちばん望ましいと僕は感じる。そこで堂々と勝てば、汚点は一気に挽回できるだろう。
つまらぬ言い訳や弁解はさらなる嫌悪やバッシングを増長するだけだと僕は思う。星野仙一SDは好きなスポーツ選手だが、あれっ? という気がしている。
これは「いじめるな」とかそういう問題ではないのだ。心が真っ白なところから試合を見た人たちの感想であり良心の叫びだからである。