雨の記号(rain symbol)

プライドママの末路(7)

 あとになって人々がそこに郷愁を見ようとする時、時代の物語性はやおら首をもたげてくる。
 庶民が個として歴史の表舞台(はおおげさか。表面くらいにとどめておこう)に登場しだした時代、それが江戸時代であると言えないだろうか? それまでの庶民は集団や群れとしての位置付けでしかなかった。いわば個人の顔というものがなかった。武装集団の配下に属した物々生産集団の人間たちでしかなかった。
 秀吉も斉藤道三も武将となってはじめて、百姓であり油売りであった過去を輝かしてきた。
 彼らほど派手でなくても、江戸の人たちはそれぞれに個の顔を持ち始めてきたように僕には思える。幕藩体制に沿って、城下の町人はいうに及ばず、野良を預かる百姓にも庄屋や五人組等、階層的役割が分担され、わずかながら顔が見えだしてくる。
 この辺を含みに入れてもらって、淀君の話に戻りたいがもう少し説明を加える。
 お市から淀君、千姫に代表される戦国時代末期の女性の系譜は、徳川家光の乳母として名高い春日の局に代表される絢爛たる大奥の歴史展開の先取りとなっているようにも思える。
 十六世紀はいうまでもなく男の武が闊歩する戦国時代であった。その時期は貴族たちでさえ、女性の影が薄くなってしまった感がある。
 衣食住の営みがすべてと言えた当時の庶民層に一夫多妻の家族構成は生まれがたかったろうが、富と権力をめぐって争いを繰り広げた公家勢力と武家勢力たちにとっては事情が異なってくる。自らのバックボーン(血族)を押し広げることの必要性があったからである。それが権力を勝ち取るための絶対的な手段だったことはいうまでもない。男子は一族の武や知の駒となって戦場に出、または暗躍した。女子は政略の駒(嫁御陵<男子は養子名目の人質>)として各地に鳳仙花のごとく配されていったのである。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「歴史」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事