雨の記号(rain symbol)

プライドママの末路(11)

 我々の前に登場する戦国時代の女たちは、男たちと同様くっきりその履歴を表しているように見えるかもしれない。だがそのほとんどは生きた記録さえ定かでないと見るべきであろう。かくかくしかじかの女がいたに始まり、言わば後世の人たちの聞き書きの虚構によって彼女らは命を吹き込まれているに過ぎない場合が少なくないだろう。
 したがって写本(やろうとする者に虚構の意識は希薄かもしれない。だが、語り手の話に一元一句忠実であろうとしても、すでに語り手自身が脚色を行っている場合も少なくないだろう。聞き書きを行うものは冷静にそれをふるい分けていかねばならないが、それには当然主観が入ってくる。内容の異なる写本が登場してくる所以である。後世の研究家はそれらを並べ、事実とおぼしき内容だけ取り出す作業に腐心することになる)は多くがその人間を媒介した物語として考えていいだろうが、逆に言えば、ひとつの話がいろいろに語られてくるのはそこに太い根が存在しているとも言える。
 お市が勝家と、淀君が秀頼と運命を共にしたことは、ここから動かしがたい事実として浮かびあがってくるのである。
おすすめの百冊
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「歴史」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事