雨の記号(rain symbol)

プライドママの末路(4)

 彼らが生きた時代は四五百年前である。時が経てば経つごとに時代の真実はどんどん希薄化していく。ついには見失われていくことだってある。
 たとえば江戸時代に活躍した井原西鶴や近松門左衛門が活写した当時の物語ですら、あれは当時の極端な人間風俗を描いているのであって、時代の様相を正確に写し取っているとまでは必ずしも言えないようである。実際は、定法から外れたところで庶民はもっと自由に活き活き生きていたという報告も出てきだしている。
 戦乱に明け暮れた四五百年前となると、それらははなはだ心もとなくなる。戦乱の中でとなると、時代を記述する者はそんなにいなかったのではないか。地方の武将らと配下たちはせいぜい戦記を記すのが手いっぱいであっただろう。客観性を持って書けた者がいるとすれば、多くの寺と才能ある若い僧たちをかかえた京や奈良であろうが、そこもとの彼らに出来たことは聞き書きくらいであったろう。実際、戦乱の場所を訪ね歩いてレポートする者など、怖くていたとも思えない。それをやったところで無意味なことである(現在のように恵まれた環境ですら、現場レポートといって出てきてもまともなものは少ないのである)。
 したがってお市や淀君の話も、何となく出来上がっている物語であって、どこまでが事実かは見えない。わかりもしない。この拘束から今の僕らは逃れられないがその辺は仕方がない。ともかくそれらの大まかなストーリーに乗り、独断と偏見で話をすすめてみたい。
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