いじめ苦に自殺と遺書 小6女児、市教委公表せず
2006年10月 1日 (日) 16:28
北海道滝川市の市立小学校の教室で2005年9月、首つり自殺した6年生の女児=当時(12)=が、学校内でのいじめを示唆する内容の遺書を残していたことが1日、分かった。同市教育委員会は遺書の内容を把握していたが、公表していなかった。
女児は同年9月9日朝、教室で首をつってぐったりしているのを登校した児童に発見された。病院に搬送され意識不明の重体だったが、ことし1月6日に死亡した。
市教委によると、教卓上には学校や母親、友人あてに別々の封筒に入れられた7通の遺書があった。このうち学校などにあてた遺書には「キモイと言われてつらかった」などと自殺の理由をほのめかす記述があったという。
(・・・同市教育委員会は遺書の内容を把握していたが、公表していなかった)
まさに、臭いものにはフタをしろ、である。
上記に見える「キモイ」という言葉は子供たちの間で流行しているらしい。その一言は、圧倒的な破壊力を持ち、一撃で相手を排斥、孤独の淵へと追いやってしまう。そして時にこのような悲劇につながってしまう。
言葉を豊富に持つ大人にとって、「キモイ」などという言葉は笑って吹き飛ぶ軽さかもしれない。どうせアキバ系かオタク系を評して生まれた言葉なんだろう。ちょっと変わり者だとか、変わった身なりでいれば、子供は言葉がそう豊富でないから、「キモイ」などという言葉を乱発するのかもしれない。大人はその程度に見ている節がある。
しかし、近頃の子を自分たちの頃の幼さ拙さと一緒にしてはいけない。情報時代の申し子である彼らは物凄い勢いで世の中の言葉を自分のものとしていってるのである。そして、それらをふるいわけ、どのような言葉が相手を傷つけるかというような悪意の装置を整えるのは、ある意味、大人より長けているかもしれない。教育や躾が十分に行き渡っていない子供にとって、自分を常に優位な場所に置く自己保存、保守の感覚は、保護者のもとを離れれば競争の原理として働くからである。徒党を組み、自分の位置をなるだけその中心に置こうとするのは、暴力を排した競争社会にある大人だってやっていることである。
当然、そこには爪弾きされる子も出てくることになる。しかしそれが、たとえ言葉の暴力であっても許されることではない。
それらが蔓延すれば、歪みに歪んだつまらない獣たちみたいな社会の到来が予想される。
子供らの行っている、イジメの事実を隠す、なんてことは彼らの将来を思うならあってはならないことである。まずは言葉の暴力をなくしていかねばならない。