一審、二審に続き、最高裁でも宮崎勤に死刑判決がおりた。これで彼の刑は確定である。当然の結果であろう。
それにしても空しい。彼に関する限り、十七年もかけた裁判から得られたものは何もない気がする。彼の口からはとうとう詫びの言葉も反省の言葉も出てこなかった。
最初から死刑になると諦めて投げやりだったのか。死をまったく怖れなかったから、自分の意地や姿勢を崩さなかったのか。どうして幼女たちを殺害していくに至ったのか。彼の心の闇は何も解明されないまま結審したのである。
幼女たちの命を自分の都合で奪った彼は、その罪をほとんど理解しないまま意識しないまま、死刑執行を受け生を閉じていくのであろうか。そうではないだろう、と思いたいが。
神戸震災から十一年が経過した。追悼のニュースをテレビで見ながら、子供たちの無邪気な笑みが印象的だ。あのような震災は二度と起きてほしくない。