マッスルガール第1話(3)
「キム、ほら、もっと食べなあかんでーっ!」
「なあっ」
「うん」
みんなに名前を偽った自分に後ろめたさを表しながら、ジホは食事に戻った。
そんなジホに梓は言った。
「ちょっと。ついてるよ」
箸をおいて手を伸ばした。顔を上げたジホの口元から野菜の切れ端をつまみとった。
その一瞬、ジホは母親の笑い声を思い浮かべた。
「もうこの子ったら、いつまでたっても子供なんだから」
母親も口元に手を伸ばしてきて食べ物をつまみとってくれたことがあった。
「ほら、見なさい。あっははは」
ジホは母を悲しがらせた日を思い出した。電話は母の誕生日を祝っている時にかかってきた。
「今日はお母さんの誕生日だって言ったはずです」
いくら頼んでも聞き入れてもらえなかった。
「お母さん、ごめん。仕事でいかなきゃ」
ジホは母にわびて出かけて行った。母が寂しそうにしたのには気付かなかった。
そうして仕事から帰ってきたら母は置手紙を残し家から姿を消していたのだ。
――このネックレスは、あなたが新しく家族になる人にあげなさい。いつまでも元気で暮らすのよ。
母より
母はどこに姿を消したのかわからない。唯一の手がかりは紙に記されていた日本の東京の住所だった。
「トウキョウ・・・!」
「キム・・・!」
梓から声をかけられてジホはハッと我に返った。
うろたえながら返事をすると彼女は言った。
「今日はもう遅いから泊まっていきなよ」
「襲ったりしないから安心しな。ここは恋愛禁止なんだ」
「ふっふふふ」
「かおる、駄目だよ」
「自分すか?」
梓が隣の女に言った。
「えっ! 何で?」
「あっははは」
「禁止!」
「私、プロレスと結婚するんだもの」
新参のジホも加わり、食卓は楽しい笑いで弾んだ。
一人がいきなり叫ぶように切り出した。
「何で解散しなきゃいけないんですか!」
緊張が走り、みなは声を失った。
彼女は続けた。
「みんなといると・・・こんなに楽しいのに・・・何で・・・!」
みんな黙ったままだ。
彼女の言葉に梓は思わずうなだれた。
これからはこういう団欒がなくなってしまうのだ。
梓は顔をあげた。
「みんな・・・ごめん・・・!」
彼女はそう言って席を離れた。ジホはその背を複雑な表情で見送った。
ジホは外に出た。
事務所社長の言っていた言葉を思い出した。期待を無にするわけにもいかないと携帯を手に考えこむが、その時、白鳥プロレスの道場内から梓の声が聞こえた。
「第57回、白鳥プロレス道場マッチ・・・」
ジホは梓のところへ行った。
梓はジホを見た。額縁に納められた写真を見ながら梓は話し出した。
「これは・・・白鳥プロレスの歴史・・・お父さんが手塩にかけて育てた選手たちがその成果を試合で発揮してくれる。勝っても負けてもどっちでもいい。その時の実力を存分にリングの上で汗と一緒に発揮してくれるだけで俺は嬉しいんだ。お父さんはいつもそう言ってた」
「・・・」
「引退した選手を見送るのはいつも辛くて寂しいけど、その分、新しい選手との出会いもある・・・。ここはそういう場所だったんだ」
「・・・梓さんのお父さん、プロレスで家族作ったんですね」
「家族・・・?」
梓はジホを振り返った。
「一緒に戦って、一緒に練習して、一緒に寝て、一緒に起きて、そして・・・一緒にご飯を食べる。それは家族です」
「・・・そうだね。でも、それも、もう終わり」
梓は仲間たちの写真を見上げた。
「ここやめたら、梓さん・・・ひとりぼっちになりますよ」
「仕方がないよ。お父さんなら何とかできたかもしれないけど、あたしには無理なの」
「頑張れば大丈夫ですよ。きっと」
「あなたにはわかんないわよ」
梓は小さくつぶやいた。
(何もできなかったんだもの・・・! みんなあんなに頑張ってくれたのに・・・何も!」
額縁に収まった仲間たちの写真を外そうとする梓の手をジホはつかんだ。
「せっかく家族がいるのに・・・それを捨ててしまうのはダメです」
二人はお互いを見つめあった。梓はジホに情熱と真剣さを見た。
それを受けきれず、目をそらして彼のもとを離れた。
外に出た梓は流れ出る涙を手でぬぐった。彼女の胸でジホの熱い思いと自分のふがいなさが交錯しているからだった。