한국어
今年の連休は家にこもったまま過ごした。二日の夕方から五日の夕方まで、ずっと部屋で過ごした。買い物どころか、玄関から出ることもなかった。この経験は今までで初めてである。
遠くまで車で通うせいで、早起きの習慣はそのままだったが、朝食をパンと牛乳ですませ、ブログの文章を書き、シャワーを浴び、ご飯を食べ、昼寝をし、キムヨナ選手の演技を見、ドラマを見、ブログを書き、ご飯を食べ、ブログを書きという状態を四日間続けた。
テレビは見なかった。珍しくラジオも聞かなかった。外の様子も気にならなかったので、我が家の上空がどんな天候で推移したのかもわからない。
実家に行っていた隣人が今日は仕事もオフで、将棋を打つ約束もあったことだし、夕方頃には電話があるかな、と思っていたら、果たして電話が入った。この時、四日ぶりに庭の外の通りに出た。家は隣だが、通りからしか玄関に入っていけないわけだ。四時前頃からココアを飲みながら将棋を打ち、六時半過ぎに部屋に戻った。
それからブログを書こうかと思ったが、九時から韓国ドラマ「アイリス」があるのを思い出し、書くのはよしにした。二時間あれば何かひとつ書けると思うが、「アイリス」を集中して見れない気がした。
こういう時、何をするかといえば、やっぱりキムヨナ選手の演技を見ることである。
この頃は、2009年、2010年のショートとフリーのプログラム、それと2006、7の「あげひばり」プログラム群しか見なくなった。
一時間ほど、これらを楽しんだ。「あげひばり」からガーシュウインの「ピアノ協奏曲」までの演技を眺め渡してみると、キムヨナ選手の成長過程は歴然としていると思うが、身体の硬さや拙さは見られるもののやはり僕は「あげひばり」の方に惹かれる。いろいろ見ているうちに行き着いて見ているのは「あげひばり」だからである。それもフランス大会の「あげひばり」。
そのプログラムをひとシーズンで捨て去ってしまったのはつくづく惜しいと思う。「あげひばり」は未完で終わったが、キムヨナ選手にとってはすばらしいプログラムだった。キムヨナ選手のためにあるようなプログラムだった。彼女が心身ともに急激な成長を遂げ始めたのは「死の舞踏」「シェヘラザード」のシーズンからだ。この二つはボンドガールとガーシュウインにつながるクリーンヒットだとは思うが、この充実期に「あげひばり」をやってくれていたら、それこそ記念碑的なプログラムになったんじゃないかという気がする。できれば「あげひばり」でバンクーバーに臨んだってよかったんじゃないかとさえ思うほどだ。そしてソチはガーシュウインで目指すことにして。後付なら何とでもいえる、まあ、逃げた狸の再たる皮算用みたいでほとんど無意味なのであるが。
バンクーバーのガーシュウインを見て、キムヨナ選手は二十年に一人の天才だと僕は確信した。だが、「あげひばり」を未完に終わらせたことで、大天才にはなりそこねたなという気がしてもいる。フランス大会の「あげひばり」をどうか見ていただきたい。あれは今のキムヨナ選手と比較すると演技的に稚拙な部分もあるが、女性スケーターが表現しうる極地の演技が随所に生じている。しかし、まさに一回こっきりで他の大会でもそれはあり続けたわけではなかった。演技の流れは掌握していたものの、表現の微妙なところまでは彼女も掌握していなかったというところだろう。もし、二シーズンあったらどうだったろう。きっと彼女は、あの表現をグレードアップして見せてくれていたんじゃないかという気がしてならない。それがつくづく残念でならない。
「アイリス」のドラマ感想を書く前に、またフランス大会の「あげひばり」を見るとしよう。
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