日日不穏日記gooブログ版

農民美術から山本勘助まで・・・歴史は知らないことばかり

 オヤジの介護から解放された日曜なんで、久々にお袋がかつて住んでいて以前から行きたいと言っていた上田に一日お付き合い。お袋が上田に住んでいたのは半世紀も前の話。最近は上田との接点は弟(オレから見れば叔父さん)が住んでるくらいのもので、あまり行き来するような用事はない。じゃあ、何でこんな話になったかと言うと、今年の年賀状で以前木彫りを習っていた先生から自費出版で本を出したとの記述があって、欲しくて探してみたけれども、出版社もわからないし、長野の書店をいくら探しても見つからない。先生が住んでいる一度上田に行って探してみたいということなのだ。よし、本の検索なら任せとけ!(^o^)v-~~~。
 


 本のタイトルは『信州の木彫り 農民美術と共に』。農民美術という運動を(上田が発祥らしい)日本に持ち込んだ先達:山本鼎に学んだ著者が書いた自伝風の読み物で、上田城跡公園にある山本鼎記念館もずいぶん前に見に行ったことあったよなぁ。だったら、地元書店でそういう部分に強い平林堂書店ならあるだろう・・・と見当を付けていったら、ドンピシャ!昨日注文したばかりの『瞽女さん 高田瞽女の心を求めて』まで売ってたぞ。なあんだぁ、あると知ってたらネット注文なんてしなかったのに(泣)。



 昼飯はお袋が一度も行ったことがない生島足島神社ヘ。境内にある歌舞伎舞台には武田信玄が支配下の諸将に忠誠を誓わせる起請文(重文指定)が収められていて、有名どころでは真田昌幸(幸村の父)のものがあったりする。ま、実際に展示してあるのはかなり精巧に作られた複製品なんだけどね。
 そういや、来年の大河ドラマの主役は武田信玄の軍師:山本勘助。「その人の起請文はないの?」と聞かれたけど、勘助って実在が疑われてる人物じゃなかったか(ウィキペディアの記述)?ただ、勘助の墓とされるものは「長野市の千曲川土手下にある」そうで、こんな近くにあるとは知らんかったなぁ・・・。一度行ってみなくてはね。

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