願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ
桜をこよなく愛した西行の最後の歌。釈迦入滅の2月15日、満月の桜のもとで死にたい。そのとおり西行は亡くなった。
今日では暦も違うし、桜は梅と違って香りも感じない。平安までは梅が愛された。
なぜ西行は桜なのか、視覚的なものだったのか、私自身は実はいまも実感がわかぬ歌なのだが、あるネット記事によると、
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お釈迦様が入滅(高僧が天に召される事)の時を迎えると、いい香りがする淡い黄色の花が咲いていましたが一旦枯れ、2本の沙羅の木(双樹)は、お釈迦様の死を悲しみ再び真っ白な花を咲かせ、その白い花は次々とお釈迦様の上に舞散り、覆いつくしたと言われています。
https://lovegreen.net/gardentree/p183075/
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沙羅双樹とは違うにしても、ロウバイはまさしく黄色。
見上げると陽の光で花びらが美しい。
香りもとても心地よく、寺の外まで漂い、精神を落ち着かせる。
境内はロウバイが散らばっていた。
きっとこういう場所だったんだなぁ、
と、勝手ながら実感できた、ロウバイとの出会でそう、ふと思ったのである。
それでは。