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恩讐を超えて、(14) 明治維新の会津藩と大東亜戦争の戦争犯罪人

7/3投稿記事を少し修正しました。
会津藩と長州藩の恩讐を超えて和解を求める、
この事は既に30年も前から、
その和解のための活動は存在していました。

長州山口の方が会津にその意向を伝えようとするも、
会津の拘りが横たわって、
進展しないという事です。

もう既に戊辰戦争から150年以上経っているにもかかわらず、
会津藩の頑な許せないという想いはどこから来るのか。

やはり朝敵としてその汚名着せられた屈辱、
その汚名を晴らさないうちは、
犠牲になった亡くなった会津藩士、そして子孫にあたる人々の想いは
第三者が側であれこれ言ったところで、
簡単には解決できるものではない、、のでしょう。

そんな折、「幕末会津藩」の著書と出会いました。
明治維新、戊辰戦争についての本かと思いましたが、
それ以前の徳川幕府になってからの会津藩の
藩祖保科正之の話から始まっています。

そして、
それらに関する資料は
官民合わせて、全国から80近くの資料館、図書館、博物館、観光課、個人コレクション、お城関係、神社、仏閣、市役所、教育委員会、国立図書館、宮内庁、、、、そうそうたる名前が列挙してあります。

恐らく会津藩関係の資料として確かなもので、
今後これ以上の新しい資料は出てこないのでは?と思われます。

内容が重厚すぎて新たに時間を作って勉強せねばならないと、
ブログ投稿も間を開けていました。

過日、あるきっかけから、
靖国神社参拝を致しました。
明治に建てられた靖国神社に対しては余り思い入れもなく、
時折総理大臣や国会議員の参拝に隣国から横槍が入る問題の神社、
という捉え方でおりました。

元々形式ばった神社お寺詣や初詣や、なんとか祭りの
混雑したあの雰囲気は苦手なので、あまり関心はなく
靖国神社は全く無視に近かったのです。

しかし、
ある方がアップされた靖国神社の、パール博士胸像の碑文に、
何故か、明治維新にも関わるかもしれないと無視できないものを感じ、
参拝することにしたのです。

(その時の様子は過去ブログに)

パール博士は戦争裁判で有罪になった人達は冤罪と捉え、
アメリカの日本に対しての不当な裁判に異を唱えてくださいました。

そして過去の歴史の間違いを正していくことを
求められていました。

いつの頃からか明治維新から、第二次世界大戦、
そして現在までの世界の歴史の流れが
勝者の都合に合わせたものとなっている事に注目するようになりました。

明治維新それ以前のキリスト教伝来から戦国時代、
仏教伝来の奈良時代、
更に遡り、儒教、朱子学の教えに
辿り着きました。

幕末会津藩の内容から白虎隊の自刃その背景が儒教、
朱子学の影響を受けていることがわかりました。
朱子学思想の徳川幕府時代の藩祖保科正之が傾倒し、
家訓もその影響が濃く、
藩校の基本は「忠臣、忠孝」に徹したものになっています。

封建時代の朱子学儒学であれば自ずと藩主に命を預ける気概を
求められ、白虎隊は会津城が落城した(実は勘違い)
つまり会津藩はなくなったも同じと捉えて、
儒教の教えの
藩主に義を尽くす、それが自刃を選んだ、理由とわかりました。

まだ落城はしていませんでしたが、
その頃、
重要な役職にあった藩士、そして家族が自刃しています。
敵の手に落ちるなら自刃を選ぶのは
君主制であれば当然という社会背景があります。

それは日本古来からの武士道精神とは異なって、
中国の戦国時代の儒教の流れのように思います。

中国思想の濃かったことがわかってきましたが、
先の戦争で志願して特攻隊へ行った若者もいたと言います。
そして敵陣の前に負けた事を知った時多くの人が自害しています。

乃木大将も明治天皇の後をを追ったとか、、。

このことから忠臣、忠孝の儒教朱子学は
思想はいつ頃から日本に浸透してきたのだろうか?
では仏教は?
ずっと気になっていた、百済、新羅、高句麗、、
そして天皇、、。

南朝、北朝、、その疑問。

恐らくはこの時代には、大陸との戦争が繰り返され、
渡来人が渡って来た、
そして朝廷をめぐって権力争いが熾烈を極めたのではないでしょうか。

その結果北朝、南朝に分かれ、表を統治している天皇、
一旦は身を引いて裏にいらしゃるらしいと噂のある、、。

写真資料は
2年前の出雲資料館の、奈良、仏教展から、
この内容の真実は?

靖国神社にもありました。












この頃からお寺が建設されてきたとありますが、
恐らくは時の権力者の権力誇示であったと思われます。

仏教は日本に友好、侵略裏表一体で伝わって来たのだと思います。
歴史は勝者によって作られる、と言うことがわかった今GHQが焚書にした6999冊の本の中身がどのようなものなのかが気になります。


歴史、科学、教育、医学、宗教、、5大迷信の教えがありますが、
歴史の真実はまだまだ隠されているのでしょうか?

明治維新では、官軍が、奧羽列藩同盟、会津藩を東北、北海道にまで追い詰め壊滅を図った理由、
そして、
さきの戦争で戦犯に仕立てられて冤罪のまま処刑された人達、と、朝敵と汚名を着せられままの会津藩、
何かの因縁を感じます。

その事が
今の日本の危機的状況に何か関係するのでしょうか?
世界の歴史は嘘の上に成り立っていた、、
いつか歴史の真実が明らかになった時、
恩讐を超えて和解する日が来るのでしょうか?




2023  7/3









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