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光の世界へようこそ❣️

恩讐を超えて、リニューアル版 会津と長州、荒城の月は会津鶴ヶ城をモデル、


戊辰戦争と言えば、
悲劇の白虎隊、
長州藩と会津藩の因縁の戦いが代表的ですが、
その戦いは会津藩が朝廷から
守護役の要請を受けたことにあります(??)

会津藩は文武両道に長けていた事もあり、
日本の各地で重要な役割を担っていたようです。

その頃、日本は開国か鎖国のままかで、
お侍の世界も真っ二つに分かれ、
取り巻く情勢は不安定でした。
会津藩が守護役を受けるかどうかも、
かなりの重い決断を迫られていました。

更に、守護役を引き受ければ、
領地の守りが手薄になると心配も大きかったのですが、
引き受けることになります。
松平容保は人柄もよく信頼される人でしたが、
西の藩士の強さ巧妙な戦略には対抗できなかったようです。(詳しい事は後日)

戊辰戦争で
西軍は白河から北上、二本松城(霞ヶ城)を目指します。
大方の藩士は白河方面に応援に出払ってしまい
お城を守るには手薄になった事で、
13〜17歳までの少年達が出陣を志願しました。

何もかもが急ごしらえ、実戦の経験も無い、
今で言えば中学生の年頃の子供達です。



(後方で母が戦の支度の像)

送り出す方は、特に母親はどのような気持ちだったか、、、。
子供達は悲壮感は無く、
まるで遠足にでも行くようにはしゃいでいた、、と言います。
実戦の経験無くてその悲惨さが
想像できなかったのでしょうか?


一応は、刀も持つのですが刀の方が大きくて、
抜くときは誰かに抜いてもらったのだとか?

しかし、西軍に対峙した時は勇敢そのものだったようで、
その姿には西軍の藩士達も、勇敢さと子供と言う哀れさに
涙したとの事、、。

時代に翻弄された当時の少年達、
その御霊に、手を合わせずにはいられません。

私は中学生の三年生を送る会で何人かで「二本松少年隊」の剣舞
(と言うほどのものではありませんが)を踊りました。

妙に歌詞を覚えているのが自分でも不思議です。

朝霧籠めし、
安達太良の
峰轟かす筒の音、
無情の風よ何故に吹く、
霞ヶ城も今日限り、
ああ、二本松少年隊



どなたが歌っていたのか、
ネットでいくら探しても見つかりません。

もう一度、聴きたい、と思っています。
(バナー写真は会津鶴ヶ城)
因みに「荒城の月」は、会津鶴ヶ城がモデルという事がわかりました。
土井晩翠が会津を訪れています。

今その歌詞とメロディーを思うとき、
戊辰戦争で破れ、無念の開城をしなければならなかった時の、
藩と藩士の心情がヒシヒシと胸に迫ってきます。


三橋さんはこちら↓


古城は荒城の月の別バージョンと言われています。
(♫鳴きゆく雁の数みせて、♫、、雁、それは鶴ヶ城の鶴を表しているのでは、、)


 2021  9/9
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