「性格が、
出るよと脅され、
ボケられぬ」
シルバー川柳、でこのような句がありましたね。
今回は母の介護一年半、
この川柳はまさに的を得ていると
しみじみと感じています。
母は98歳
昨年春まで、介護2で週2回のディサービスに通っていました。
この頃は足に力が入らないながらなんとか自力で、
歩くことはできていました。
性格は多分私は母に似ているのかもしれませんが、
生き方は真逆、、
その一つが、病院大好き薬大好き、いつの頃からか
わかりませんが、朝昼晩、キッチリ恐らく10種類以上、、
飲み続けていた様です。
貼り薬、痛み止め、痒み止め、、
処方で出る薬、使わないのにまた貰って来る、
何年その繰り返しだったのか、同居していなかったので知りませんでしたが貼り薬がごっそり溜まっているのです。
病院のカードがゾロゾロと、、7、8枚、、もっとあったかも、、。
ちょっと体調悪いと、病院に行っていたようですが、
健康診断で言われたのかもしれません。
田舎は管理社会ですから、その管理社会が安心の保証であり、自治体の方針に疑いを持つことはありません。
自治体の中に診療所があります。
30年ぐらい前のある日、母の処方薬を頼まれて受け取りに行きました。
その医師は薬を大量に出す先生、と言うことは知られていましたが、、まさかのその多さに大変驚きました。
母にいくら何でも多いのでは、、、と言いましたが、
飲み始めたらやめられないのでしょう。
あれからずっと飲み続けていた様です。
私は逆で
自然食品販売の経験と自然農法を学び
自然治癒力、免疫力を信じていましたから、
定期検診も一、二度したきり、病院との付き合いは、
お産と歯医者だけで薬も飲みません。
その私が薬信奉者母の介護するわけですから、
目に余ることが多々あります。
口内炎らしいので、、アレを、、
心臓悪いのであの薬を、
足が痛いので、、どこ、そこ、どうなので、、アレを、、、と
薬を買ってきて欲しいと頼まれます。
今は地方都市にも大手ドラックストアが林立しており、
その看板、ネオンを日常的に見て居れば、
気軽に買い求めたくなるのでしょう。
最近は、食料品も並んでいます。
薬や保険用品を買い、ついでに食料品を、と思っているうちにスーパー感覚で日常的に買い物するのはドラックストア、になっているのかもしれません。
海外では、
ドラッグーーと言えば麻薬、薬物を連想、しますが、
その情報のない人たちには、何の抵抗も感じません。
これだけ量販店が増えれば、身近で便利と思うのでしょう。
主に若いお母さん方の利用が目につきます。
化学物質、クスリが化学兵器の役割を持っているなど、
夢にも思っていないのです。
まさに、大衆に魔の手が伸びてきていると言う
危険を感じます。
母は薬も多く飲んでいますが、
サプリや、薬草、漢方、何とか飲料なども多く利用していて
その年齢の割には元気で、
母の年齢を知った人がその元気さに驚くことがあります。
その元気さ化学物質が市場に氾濫する前の昭和を生き延びてきた事にあると思われます。
元気でディサービスに通っていた母は、ある日、朝起きたら全く力が無く意識も朦朧とした感じです。ケアマネジャーに連絡、すぐ入院となりました。
治療とリハビリ、、
無事退院、、。
介護の度合いが上がり介護4、
ケアマネジャーが変わりサービス内容も変わりました。
介護認定は、医師の診断があって役所から職員が、
利用者の聞き取り調査があって決まります。
介護4でサービスの種類も増えます。
それまで週2日を、3日から平日毎日に変えました。
母はそれまで一人で食事を作っていましたが、今度はそうもいかなくなり私が作らなければなりません。
1日一食主義の私が三度の食事用意をする事はかなりの負担です。そのため平日毎日をお願いしました。
とはいえ、
送迎時には在宅が原則、、
これが自由時間に規制がかかります。
そんな日常を過ごして行く中で、
脳に溜まった血液を抜く手術を2回、コロナ陽性との判断(これは信用していませんが流れには逆らわず)自宅待機二週間、
その後、咳き込み、痰が出る事でケアマネージャーのお勧めで病院でレントゲン検査、肺に水が溜まっていると言うことで処方箋、、、、。などなど。
ケアマネジャーの病院と介護サービスの提携、
その連携が浸透していることがわかりました。
その様な日常の中でもう寿命かも、と。
その度に危機を何度か乗り越えてきました。
本人も百歳まで頑張るつもりでいましたが段々と食欲がなくなってきました。
意識朦朧、その中で、誰かと話ししている様な様子、今ここでこうしていたのだが、、と、幻覚が起こっている様子、
恐らく時々ボケの症状が、、、
ついには「父ちゃん(父)宜しくお頼み申します」と言い始め、
いよいよ義先祖様のお迎えかな、、と感じました。
そこで改めて自宅で看取り最期を迎えた場合を確認しました。
自宅見取りの場合、かかりつけの医者の死亡診断書、かかりつけ医師がいない場合、110番、いろいろ聞かれる様だが老衰なら、事故や事件の疑いなど持たれないだろうから、、もしもの場合はそうすればいい、、と考えに落ち着いていました。
ディサービスから帰ってきた時、病院行きを勧められてましたが、本人は寝ていることが辛い「しんどい、しんどい」と言う中で果たして延命は本人にとっていいことなのだろうか、
更に辛い時期を過ごすことになるなら、無理に延命を頑張らない方がいいのかも、、、病院行きか自宅かと迷っていました。
そうした中ディサービスの迎えが、、、。
連れて行こうとしたので、これ以上本人に負担をかけたくないのでこのまま看取りにはいりたい、と言いますととにかく病院にはいかなくてはならない、と言います。
何故なら往診は出来ないから、、と言います。それでは担当医に自分で確認します、と言い引き取ってもらいました。
かかりつけ医療は町立病院、自宅看取りは可能かどうかをききますと、何故か折り返しリハビリ担当者から「病院にすぐ来院されてください」との返事です。
一人では無理なのでケアマネジャーに頼みます。
何故か二人で来られ、出発前に検査(ケア施設の規則らしい)
私の車は車高が高く無理との理由でケアマネジャーの車にて病院へ、、。
ここで改めて病院にかかっていれば、自治体ー病院ーケア施設のそのシステムからは逃れられないと言うことがわかりました。
病院に到着、待つこと小一時間、担当医に状況説明、自宅の看取りは出来ないと言われます。ケアマネジャーも警察が入って厄介なことになる、、と言うことを聞き、
西洋医療体制の盤石さを知りました。
看護婦が誰もがしていると前起きし「綿棒を鼻に差し込んでコロナの検査します」と、、、コロナ騒動も静かになっているにも関わらず検査をまだやっているのでした。
ワクチン接種未接種も意味のないことなのか、その件は聞かれなくなっていました。病院にかかると言うことは、そこで何があっても知ることができないということであり
自宅看取りはほぼ不可能だと言うことです。
延命処置がどの様に行われるのか、
福島の住民、原発立地自治体住民であったからには
何らかの検査はあるのかもしれません。
もしや医療利権のための延命処置が行われているのではないだろうか、、。
介護する側にはこれでいいのだろうか、と常に精神的に負担がかかります。
病気になる、医療を受けると言う事は
命の選択は自らは出来ないと言うことになります。
後悔のない最期を迎えたければ、
健康で、自宅でポックリと、、。
それでも死亡診断まで家族が警察の質問を受けても、
事をできるだけ簡単に済ませる様に、
病気になる前に自分の意思を出来るだけ多くの家族に、伝えておく、
警察沙汰にならない様に最期をどうしたいか遺言を書いておく、、などの方法がいいかと思います。
いまは西洋医療の闇も色々あるので、
あの世に行くとき体に傷をつけない様に、、。
幽界に旅立つ、その状態は
輪廻転生に大きく影響するので、
とても大切になってくるのです。
ボケーそれは化学物質による脳神経系統異常。
ボケは自然に感謝し自然な生き方で防止できるでしょう。
医者のお世話にならない、
人生の最期を納得で終える為その心構えが必要です。

2023 8/25