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さくら紀行 日中友好さくら植樹 再掲編(2) 目的地義烏市に到着、歓迎を受ける。

さくら紀行  (22)

駅に降り立つと、人民政府の方々が出迎えてくださった。
私が荷物を持とうとすると「私が、私が」と、言ってずっと荷物を
二日間持ってくださった大学2年生の可愛い黄さん、ありがとう。
通訳の王氏(金華市政府外事辨公室副主任)の流暢な日本語の案内で、
私たち一行は出迎えの車で、宿舎のホテルに着き、
荷物をおくとそのまま有名な義烏商品市場を見学に出かけた。
大きなデパートを思わせる建物の中に、
日本の夜店の屋台位の小さな個人の店がずらりと並んでいる。
現代中国の熱気活力渦巻くエネルギーをそのままの姿に、
圧倒され続けた。
商品市場では衣服類が最もよく売れここに店を持つことが夢だ、と言う人が多い。

店を出すには1万元から5万元(100万円)の費用を積み立てなければならない。
土地は国有で一部個人が補い、建物は神兵平局に属し国営である。
商品市場の朝は早く6時半に開店夕方6時に閉店する。
小さな店には様々な品が安価で並ぶ。
ついに、私はアクセサリーの前で立ち止まってしまった。
ピアスの品定めに夢中になり右手に付けていたブレスレットを落としてしまった。
それはとても良いブレスレットだったからもう青くなって、
「ブレスレット落としたのどうしよう」と、声に出していた。
すると案内してくださった人たち、傍にいた人、店の人みんな総出で
商品をかき分けたり屋台の人に潜り込んだり、
ワイワイ言いながらブレススレッドを探し始め、それがしばらく続き、
私はとんでもないことをしてしまったことに気づく。
(桜の木を植えに来たのにアクセサリーの店を覗いたばっかり
にこの始末だ、あーごめんなさいね)
「ご親切に探して下さってありがとうございました。でももういいんです」
義烏の人たちは素朴で親切だ。表情もみんな生き生きしている。
よく笑い感情表現豊かな人たち、ここには無表情に取り繕う人たちはいない。
無性に自分の行為が恥ずかしかった。
「出てきた届けます」店の人たちは通訳を通して言った。

ホテルに戻り会議室に通されると、
そこには義烏副市長 張先生の笑顔があった。
張副市長の歓迎の挨拶に、
松田団長が民間の友好と平和のために挨拶を交わし、拍手に包まれた。
今回、前川元軍医が50年ぶりに義烏の地を踏まれたことに
みんな感動の面持ちだった。
「元軍医さんはどなたも前面に出たがらないので、
今回は3人の軍医さんの中で前川元軍医さんを引っ張って連れてきました」
編集長のユーモアあふれるスピーチに、40代半ばの若い副市長が手を叩かれる。
副市長は半袖シャツに半ズボンサンダルと言うラフなスタイルで
私たちをリラックスさせて、終始少年のように瞳を輝かせニコニコと、
日中友好に触れられた。
前川先生は再び義烏を訪れることができた感謝を述べ
田辺部隊の軍医は私一人じゃなくて他に2名、
体調が悪くて来られず代表で私が来た次第です。
陳先生のお母さんを助けたのはこの2人によるところが大きいのです」
と続けられた。

そして日中両国ここに集まった人たちの自己紹介、スピーチへと移り、
最後に畑山さんが杉本さんの、絵入りの一巻さくらの自作詞、
「さくらの四季」を朗読。
それを石さんが中国語で読み、献詩し一つの明るいセレモニーは幕を閉じた。

正午、ホテルのレストランで昼食パーティーに招待された私たちは、
そこですっかり打ち解けて、旧知の友の再会であるような錯覚に陥り、
大騒ぎの楽しい酒宴が始まった。
ここには酒と、友と、と旅を愛した中国の古い伝統が生きていた。
真っ赤に顔を上気させた副市長さんが「乾杯」と大声で立つと、
松田団長が杯を手に「乾杯」と横に並んで一気飲み、大拍手。
これに刺激されてお酒を飲まない編集長が「乾杯」と中国酒で受けて立つ。
(編集長は密かに不老長寿の薬を聞き出そうとしていた)
前川先生も乾杯の繰り返しであるが、
一気飲みした後の杯をみんなに見せて回る仕草が頭に入っていて、
さすがであった。

夜になると義烏の街はキラキラと活気づく。
人々の渦が夜店の屋台をとりまき、どっとなだれ込む。
果物、野菜、肉を焼く匂い、衣類や遊具の叩き売り。
どこから来るのか呆れるほどの人の波。
人も自転車も車も同じところを互いに避けながら走っている。
交通ルールなんてあったものではない。
信号がほとんどと言っていいほどないのだから。
それなのに事故が起きないと言う事は、
みんな自分の身を守るため注意しているのだ。
ここには野うさぎの自由さがある。

50年前は田舎だったのに、と前川先生。
現在人口63万人、義烏はめざましく発展した。
雑踏の中を私たちはレストランへと急いだ。
陳先生ご一家のご招待を受けていた。
細い坂道を少し登ったところにレストランはあった。
郷愁をそそるような懐かしい中国の建物。
陳先生に案内されたレストラン階段を上って丸テーブルにつくと、
陳先生のお父さんと陳先生のご長男、
弟さんご夫婦がかわいい4、5歳の女の子を連れて入ってこられた。
みんなが揃うと宴が始まり、
やがてお父さんと前川先生は
握手して肩を抱き合って泣いた。
ここにお母さんの姿があったらと思い、私たちはそっと涙を拭った。

「お父さんは若いですなぁ、
僕は髪が真っ白やのにお父さんは黒々として見える。
お若いですわ」前川先生の羨ましそうな一言にお父さんは照れ笑いをした。
そして、テーブルの後ろにみんなで並び記念写真を撮って別れた。


    2021 5/10
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