「南京大虐殺」や「従軍慰安婦問題」ばかりに気をとられて、肝腎の“自国の存亡に関わる歴史問題”には、目をつぶらされてきた日本。
確かに中・韓が云う通り、歴史を直視してこなかったのは事実でしょう。
学校では、「カルタゴが何故滅んだか?」について習った記憶がありませんし、今も学校では教えてくれないでしょう(若者が選挙に行かず、政治に無関心なのが、何よりの証拠。)
賢明な日本人は学校や学者を宛にせず、自分で勉強するしかないようですが、真実に飢えた日本人がネットに集まればどうなるか?
「三人寄れば文殊の知恵」と云いますが、日本人が何万人、何十万人も集うネットは智慧の宝庫といっても過言ではありません。
GHQの日本解体計画書、ワー・ギルド・インフォメーション・プログラム(WGIP)の存在など、管理人は今年になってネットでやっと知りました。
戦後70年経った今も尚、政治もマスコミも教育も…サヨクに邪魔されたまま、一向に真の保守つまり、日本!に目覚めることが出来ずじまいでいることに、改めて戦後民主主義の闇の深さを思い知るばかりです。
歴史に学ぶことができない国が滅ぶしかありません。
歴史に明るい方ではない管理人でも、カルタゴと聞けば、「ああ、経済繁栄にうつつをぬかしてローマに滅ぼされた哀れな国。日本と少し似ている」というコトくらいは知っていましたが、ここまで酷似しているとは!
知って(わかって)いるつもり…が一番危険ですね。
カルタゴが滅んだ理由を教えない日本の学校は、何を教えてきたのか?
日本の平和教育とは何だったのか?
「軍国主義は間違いだった!」「日本が悪かった!」ことにしないと、自分達の悪事(虐殺や侵略)を正当化できない米・中が結託して作り上げた“国際社会”が、いよいよますます平和でも安全でもなくなり、日本だけが孤立したおかげで“ニセモノ(隷従)の平和”は手にしたものの、日本人が日本人でなくなる寸前の今日、ネットのおかげで遅まきながら、無知の知にやっと日本が目覚めつつあります。
知っているつもり…でここまで来た日本人に、目覚めよ!の大号令がそこかしこで鳴っています。
FBで見つけたこの記事も、要拡散!です。
日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴはなぜ滅んだのか?
日本と同じような経済大国であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事、成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えた。
しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局、滅ぼされました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者、ハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、「平和ボケ」した市民は、耳を貸しませんでした。
それどころか、『ハンニバルは戦争をしようとしている!』と中傷する人さえいました。
しかも、最終的にハンニバルは、ローマに洗脳された者達によって売られ、自殺にまで追い込まれます。
平和ボケの市民は、ローマから次々と無理難題を要求されてから、はじめてハンニバルの警告が正しかったと気づきます。
しかし、時すでに遅し。
徹底抗戦するもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。
この間、たったの3年です。
生き残ったカルタゴ市民は5万人。
そのすべてが奴隷にされました。
城壁は更地になるまで徹底的に破壊されました。
2度とカルタゴが復興しないように、農地には、塩が撒かれました。
これはただの負けではありません。地上から、抹殺です。
その後のカルタゴの歴史はローマによって書かれ「多くの幼児を虐殺した、極悪非道なカルタゴ人」というレッテルを貼られます。
そのため、近年まで、その歴史が分かりませんでした。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つ目は、カルタゴ市民が軍事について無関心だったこと。
もともと自国の防衛は傭兵に頼っていた上に、
国内世論も、きれいごとの「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことができませんでした。
2つ目は、国内の思想が分裂状態であったこと。
そもそも挙国一致で事に当たらねば有事は乗り越えられない。
カルタゴはそれができず、戦時中、ハンニバルが外地を転戦するも、市民は無関心。
そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴たちでした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・
かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅びます。
今の日本はこのカルタゴに酷似している。
2000年以上の時を越えて、日本人に警告している。
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