佐藤栄作政権後の自民政権政権は、
田中角栄政権では、ミラクルな高揚感を感じたが、その終焉には国際的な不条理感を払拭できない。
以後の各政権から、日本の政治は劣化し始めた。
その現象に比例して、クソのような、存在価値を評価するに足らないクソ野党が政治の世界、クッ感に跋扈し始めた。
そうした風潮の助長を主導したのがメディアであり、その背景にあったのが、キレイな表現ならリベラルで、革新、安っぽい人権と平和を声高に主張し、それが政治風土の中でファッションになるという異様な精神文化が大手を振って歩き出したことだ。
声高に言えない勢力は、表現の世界では片隅に追いやられ、せいぜい、愚痴を肴に安酒を飲んで、ウサをはらす時間は半世紀近く続いた。
その終盤に登場したのが、安倍晋三政権だった。
それは同時に、インターネットが市民権を得始めた時期に重なる点が興味深い。
特に二度目の、奇跡の復活をした時の政権の登場には、忘れかけていた、政治への高揚感を感じた。
その時の政治課題は「改憲」と「拉致被疑者奪還」に集約されるが、それは、「改憲」で解決可能なことでもあったはずだ。
それが今、未完で政権が終わることへ、虚脱感を感じてしまうが、人生で二度の政治への高揚感を教えてくれた、若き総理に感謝とねぎらいのメッセージを発信したい。
海外首脳(中韓豪印台)のtwitterから、安倍総理の辞職への印象は将来日本外交行動意思決定の基調になる
— katsukazan@滅➡アベが~反日左翼症候群 (@asanai106) August 28, 2020
モリソン首相、モディ首相、蔡英文総統は、「喪失感にも似た、辞職を惜しむニュアンス」が、温度差の違いは「斟酌」という日本的な思考手法を価値判断に採用できそうだ。安倍総理に感謝だ。 pic.twitter.com/jCjTxMZ8Hc