1997年の締結ということで、ノートを開きました。
ノートには、三角大福以降の内閣を箇条書しています。
理由は、Wikiで「歴代 内閣」を検索すると、トップ二件か三件まではが、年号表記で、咄嗟にイメージが浮かばないためです。
ノートには、三角大福以降の内閣を箇条書しています。
理由は、Wikiで「歴代 内閣」を検索すると、トップ二件か三件まではが、年号表記で、咄嗟にイメージが浮かばないためです。
1997年締結ということは、1992年天皇皇后両陛下の訪中後、5年後ですから、いいように外務省のチャイナ・スクールは完全にカモられていたと見ることができます。
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下が、入れたコメントの全文 ↓ ↓ ↓
ハニトラの橋本龍太郎内閣1996~1998。その前任は村山富二。粉を蒔いたのは村山なら不思議はない。
1972年佐藤内閣終了後、田中角栄以降お粗末内閣が続いた日本の不幸に付け込まれたのだろう。ランブイユが1975年だから、通貨枠組みに組み込まれたことも知らないで右肩上がりを喜んでいた時期。
そいう時期に、危機の芽が生まれるということか。。
たまに、ノートにメモのない記事が投稿されるSNSは貴重です。
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失われた30年を始まりを検証してますが、今にして思えば、「アレッ」ともう政治的節目、政局節目をその当時の外務大臣や官房長官と内閣の列記から、結構興味不可特徴が見えてきます。
そして、この時のメンツが、失われた30年の戦犯かと思いながら、メモをみると、結構現代史が見えてきます。