フィリッピンは600年の昔、スールー王国といった国だったらしい。
「だったらしい」は今日の産経紙のコラム【暴言大統領】で知ったことから、このように表現にさせていただきます。
今回、フィリッピンの暴言大統領こと、ドゥテルテ大統領が、中国を訪問し、その結果、外交で失敗続きの中国に、久方ぶりのおおきな「外交の勝利」をもたらしてしまったようです。
せっかく、実現できた中国の南シナ海支配を否定したオランダ・ハーグ仲裁裁判所の仲裁の棚上げに事実上応じたからです。
目先の「赤札・元」に目がくらんだようです。
600年前、明の永楽帝は、「鄭和の南海遠征」などを通じ、アジアの小国に朝貢を促した。
これに応じて、スールー王国から3人の王が1417年に北京を訪れ、宝玉などを献納して冊封(さくほう)されたと伝えられる。
この故事にあやかって、15世紀のフィリピン諸島に栄えた「スールー王国」の明朝中国への朝貢から600年の記念活動を来年実施するらしい。
目がくらんだ金、赤札・元は毎日輪転機がフル稼働して、短期マネーの市場供給をし続け、原板はかなりすり減ってきたという冗談も聞こえるくらい、輪転機の稼働はすさまじい効率で回転し続けているようです。
この大統領、こうして中国の冊封国家として名乗りを上げたことで、フィリッピンの立ち位置が、対米外交への強力なカードとして使用できると思っていたら、大きな幻想でしょう。
もともと、客家人が移住しているフィリッピン社会では伝統的に経済・生産分野での華僑の力は大きいものがあります。
暗殺されたベニグド・アキノ大統領候補・上院議員夫人である後の大統領であるコラソン・アキノ氏はフィリッピンの華僑の娘です。
ここまで戸口を中国に開放する事のリスクを恐らく理解していないでしょう。
1992年のアメリカ海軍・空軍のスービックとクラーク基地の撤収のっ引き金になったは、ノーテンキな民主化運動の果ての事です。
そのとき、英邁なはずのフィリッピン上院議会までも、地政学上のリスクを度外視し、両基地の撤収に「イエス」の裁定をくだしました。
そして、南シナ海スカボロー礁に五星紅旗が立ったのは翌年の1993年ことです。
狡猾な中国共産党は、スービック海軍基地、クラーク空軍基地の米軍無き後の地政学上の空白に乗じて、千載一遇のチャンスをものにして、南シナ海攻略の橋頭保を築いたのですから、同じ歴史の過ちを繰り返すのを見る思いのkazanです。
これで、今後4年のドゥテルテ大統領の在任中に、フィリッピン経済は中国資本に蹂躙されるのは明らかです。
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