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ブログ katsukazan/活火山★時々の四方山話

昨日の投稿記事中「海軍軍縮会議を機に解消に向かい(日英同盟)」を加筆したくなったので



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正確には、第一次大戦後のワシントン会議(1921〜1922年)がキーワードです。

第一次大戦が終了した1918年の後、世界は今のお花畑症候群のような発想か、あるいは、日本の台頭の牽制からか、その辺は微妙ですが、勝ち組筆頭国のアメリカ、イギリス、フランス、日本がワシントン会議で、「四カ国条約」が成立し、その結果1900年の義和団事件を遠因起点として締結されたのが1902年の日英同盟が「四カ国条約」への発展の結果二国間同盟が解消されたという背景が欠落してましたデス。

つまり、日英が広角泡飛ばす激論激昂の果に日英同盟が破綻したのではなく、発展的消滅に化学変化するような国際政治の舞台装置があったことを知ることが出来ます。


この四ヵ国条約は、1936年に日独防共協定あたりから形骸して、イタリアがその協定に加わることで、枢軸国を形成のルーツになったあたりから、不幸じゃないね、不運が始まったと言えそう。


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昔、高雄の228記念博物館の展示の写真画像には国民党軍の憲兵隊の兵装が旧ドイツのものと、ヘルメットや制服デザイン、特に乗馬ズボンのような形状兵装で肩か斜めに下げた拳銃ベルトと抜いて構えた拳銃はモーゼルであったのに驚き、撮影したが、今日、その画像を探したが不明だったデス。

近いウチ、近所なので、もう一度見学に行き、撮影したいと思っていますデス。

つまり、ここで言いたいことは、日中戦争中の中国に、同盟国のドイツが同盟先の日本が対峙してる中国にシッカリと軍需物資を供給していたことを教える一枚であるということです。


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米英仏に次ぐ第4極として参加したはずの四カ国条約の日本は、歴史のif、タラレバを言うまでもなく、最もリスキーな相手と握ったというドラステックな歴史の展開を教訓にするなら、初心に帰り、立憲君主国との同盟関係を模索する絶好の機会が、今に極東の情勢だと想像するデス。



男と女、友達同士でもプラス方向、上昇方向に行く相手と真逆にケースがあるのは世の常だろうと思うデス。

そのキーワードの一つが「あげ◯ん」「さげ◯ん」だろう。。

ドイツは、日本以上に中国とは抜き差しならぬ関係になっている、というのは公然の事実です。


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