(画像は、「植物園」温室前の庭園・台北駅から地下鉄で二駅のアクセス圏)
「世の中捨てたものじゃない」という表現に感じる違和感
思いかけず、いい事象がある
それも、その事で、「何か得する」「何かホッとする」「元気になる」「嬉しくなる」まだるかも知れないが、そんな感覚や思いを感じて、発信してこそ、この「世の中捨てたものじゃない」は説得力、発信力のある日本語に変わるのではということを、思い知らされてような気がします。
確かに、SNSでは、従来なら一斉に非難をあげる傾向の事件に対して、むしろ意識的に、控えている様子は、SNSユーザーに限らず、メディアでも同様です。
日本中が、この犯罪に怒りとを覚えているいことは明確すぎるくらい明確で、発信者の分析、見方は、先日、自分がこの事件に関する投稿の未熟な部分を、巧みな表現力で、専門家がスポットを当ててくれたような印象で、むしろ共感を覚えます。
それだけに、冷静な、理性的な配慮をしのばせ、それこそ善なる社会と風土への忖度で、自己制御している時期であるだけに、記事末の一行にある結句「この世の中もまだまだ捨てたものじゃないんだぞ、と教えてもらえている。 」が、本来の発信の価値を最後に劣化させたような気がします。
知る限り、直近では、ようやく逮捕状の請求が行われてと言うニュース目にしたばかりです。
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年に数回は台北に行きます。
つまりお上りさんです。
大概は、領事館(交流協会)事務手続き、買い物、日帰り温泉、日本食(日本スペック)、生ビールが目的です。
台北駅から地下鉄で二駅のところにある、植物園は、紹介欄で
「植物園は日本統治時代に植物研究を行っていた重要な場所。約8ヘクタールの敷地内には、当時の台湾各地、日本、中国、東南アジアからの試験・研究用植物が保存されています」
とあります。
植物園を一歩出ると、すぐ近くに霞が関、永田町に該当する総統府がありますから、以前投稿したとおり、東京なら、日比谷公園へのアクセス、環境が似てると思っています。
ここに、足を踏み入れた瞬間、台湾とは異なる風情と時間、空気が流れて居るの感じて、日頃の台湾環境への不満を忘れて「捨てたものじゃない」となります。
台湾人によく似た外国人はまずいません。
そういう趣味の方にはオススメです。