お座敷と言っても、花街でではないデスので、ドヤ顔と言う世界ではありませんデス。。
計算してみたら、1980年頃。。
kazanに貿易営業という商売を教えてくれた一回り上の先輩という師匠は、仕事が終わって、まっすぐの帰宅するのは「罪悪」とまでの信念を持たれる、破天荒系で、その所為もあり、交友関係の裾野は、信じられないくらい広い。
大変可愛がっていただき、大人の世界のご相伴にあづかれたという、プレミアムは、今でも懐かしい思い出であり、今、台湾に居て、逆立ちしても、そのような環境と世界は、ここにはないだけに、「自主ボイトイレ」のカラオケをで
曲を歌うと思い出が鮮やかに戻ります。
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東京・中央区京橋の昭和通りを一本裏手に、師匠が贔屓にしているYという店があって、その店の並びにある、機械の代理店に番頭さんは師匠の古くからのお友達。
番頭さんにしてみれば、町内会同志で、師匠と番頭さんが揃い踏みでYに行けば勝手知ったる他人の家どころか、実家か我が家同然で、「店と客」の境目などは一切ない世界でした。
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ふぐ料理屋さんですの、東京なら、宴会でも入ってなければ、1階のテーブ席でも閑散としております。
夏場でしたので、ふぐ鍋は頼まず、ツマミ系と日本酒の注文で二回の座敷の一室で、ワンパターンで飲み会という酒席が始まります。
師匠→長男の若旦那 「今日は、女将。。?」
若旦那 「暇だから奥の部屋で、一人で唄ってます」
師匠・番頭「じゃ、みんなで飲むか」 と、持ってきた酒やサカナ(ツマミ)4人、8本の手で、奥の座敷になだれ込みます。
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女将さんが、熱唱・練習中の曲が、八代亜紀・愛の終着駅でした。
当時、流行りの曲ですから、テレビの歌謡番組が全盛時代ですから今風の言葉の「耳コピ」で一応は曲を追うことくらいはなんとかできそうですが、八代亜紀のキーになると、ナンチャラ系の素人の歌では最初の出だしに、勢いがありませんので。。。
酒の勢いもあって、結局各人が複数回トライをして、ワンランド終了。 そのあとは、勝手に気ままにに、飲みながらのカラオケ練習会になったのですが。。
そこで覚えた歌は、後年、貴重な持ち歌の一つになった。。
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あれから浅草観音裏の安スナックに入り浸りになり、いつしか持ち歌として、店の大学ノートの自分ページ(当時は半ページ)に曲名と、入力番号が記載された曲です。
あのママ同級世代でしたが、頭は良かった。。 一人で、素早く選曲できるように、頻繁に来る客が歌う曲は、ノートの1ページを一人の客のスペースとして割当上から一行沖に曲名や番号を振って、選曲時短と、店内の歌が途絶えることへの対処をしていたデス。
商売とは、そういうモンかと関心して、当時は半ページ埋まるくらい、夜毎似通った記憶があります。
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先日、愛の終着駅を歌い込んだ時、すぐに、京橋のYを思い出し、ググったら、八重洲側に移転したような形跡がヒット。
帰国したら一度行ってみたいと思っているデス。
時代はすでに、若旦那が、すっかり年季の入った主人・旦那になっているだろうと想像します。
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三人の歌い手さんが歌いこむコンテンツがあった。。
岩本公水 + 市川由紀乃 + 丘みどり