ユネスコの歴史捏造の腹だたしさを、払拭するには、「心温まる話」がベストです。
kazanの場合はブログ「ねずさんのひとりごと」がその筆頭なのですが、今日は、3日連続のブログ「なでしこりん」さんのネタです。 戦後の東ドイツで37歳で客死された日本人医師・肥沼信次博士の話です。
kazanは例によって、不勉強で存じてませんんでした。 本当にお恥ずかしい限りです。
拝読しましたら、
第二次世界大戦後、ドイツ占領ソ連軍が創設したドイツのヴリーツェン(Wriezen)の伝染病医療センター初代所長となり、チフス・コレラなどの疾病対策に力を尽くす。だが自身もチフスに罹患し、1946年3月8日、37歳で死去。
と記述がありました。
ご臨終の際、「桜が見たい」と言い残されて、それが伝えられ、
後にヴリーツェンには日本から桜の木が贈られた。1992年、ヴリーツェン市は肥沼に名誉市民の称号を贈った。
とあります。
また、それがご縁で、「なでしこりん」では、311の震災時には、ヴリーツェン市からも、義援金が贈られたことがきされてました。
東ドイツではなく、西ドイツでの活躍であれば、もっとニュースになったのでしょうがと思われて、残念なことでしたが、 著作家なかむらちゑ氏が、肥沼信次博士の著書を上梓しております。
著作家なかむらちゑ氏についても、詳細はネット上でも、同氏による著作情報はヒットしますがあまりよくわかりませんが、 ブログ「なでしこりん」をリンクURLは下記の通りです。
命を賭して、異国でその地の人々に惜しまれ、今なお尊敬されている、日本人は少なくありませ
ここ台湾でも、kazanが知るかぎり、お二方がおられますが、残念んながら、もうひと方の情報をネット上さがす手立てを不注意にデリートしてしまいましたが台湾の地方の開業医だったと記憶しておりますが、いずれ古老にお会いしたときに、伺ってみようと思っております。
もうひと方は、烏山頭ダ厶の工事責任者・石川県出身の八田與一土木技師です。
八田與一技師のことは、台湾の小学校の教科書にも出ている偉人でです。 詳細はいずれの機会にゆずります。
日本を悪くした戦後派の軟弱なkazanには、自分の大先輩たちの年代の日本人に、気骨のある生涯を送られた方が本当に多いと、いつも感銘しております。 きっと、戦後の日本の教育風土、社会、文化が終戦を境に消えたことが最大の原因だろうと、また例のごとく、他人の所為にしております。 お恥ずかしい限りです。
ブログ「なでしこりん」 http://ameblo.jp/nadesikorin-fight/entry-12083597898.html