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過ぎし某東大の入学式に来賓として臨んだ映画監督・河瀬直美氏が、入学生への祝辞で、ウクライナ戦争を取り上げ、
「『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である」 が、それが必ずしも真実ではないケースもあるとして、多くが一方を「悪」と決め込んで、評価しがちな傾向を非難し、
報道とSNS空間で話題になった。
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時節柄のウクライナ戦争ながら、東大の入学式ということで、自分自身にバイアスをかけることで現状の「ウクライナが善風潮」に一石を投じることで奔流にあがらう手法は、入学式を執り行う側に取り入ることを狙ったものか? あるいは、圧倒的な素朴的感情論、一般論と差別化を狙い、少数派としての自身のスタンスを際立たせるのが念頭にあったものか。
日本の言論空間で、飛び跳ねてる、そして世間で際立つ発信を旨とする伝統的な人たちが、同一の共同体に混在しているが、彼らの主張、見方は、常に大勢とは一線を画するものか、真逆の、つまり対局にあるのはいつものことで、極めて特徴的な彼等的通常運転だとかねがね思ってきたことデス。
飛んでる人は、飛んでいることで、マジョリティー に一線を画すことで、華ににもなれば、実にもなる例えの典型なんだろう。。
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ぱっと見で見た時、河瀬直美 監督の言った意味が、ストレートに理解するのにしばらくの時間が必要でしてデス。
日頃、映像と言うコンテンツで通して、情報、メッセージを発信してるプロであれば、もっとシンプルな構図で、監督の考えを発信する方法もあったはずと思うほど、内容はわかりにくい構図になっているみたいで、あれなら、岸田総理の発信のほうがまだマシのような気さえしてくるほど。。。
キッシーを初めて褒めたよう気がしますデス(^o^)
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昔は、結構映画大好き人間で、中学以来50代まで、洋画、邦画を問わず、数多くの映画見てきましたが、その中には、おかしくも無ければ、感動もしない、それでいて意味不明で理解不能のような映画も多かったと記憶してます。
この種の作品は、深淵高邁な哲学者が監督にすり替わってメガホンを取った名作とか言われる話題作で、かようなものを極めて不運な経験少なくないデス。 こんな時は毎回、「これで採算取れるの。。」と思いながら、映画館を後にしたものでした。
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映画は、面白いか、楽しいか、感動するかのワクワク感があるかで対価を払うのであって、硬すぎるスルメをシャブッて居る間の時間では、輪郭すら現れないような「禅問答」や、非日常性を押し付けられるような映画はまっぴら御免です。
日本に帰ったら、また映画を見る機会が増えるかもしれませんが、スルーしたくなるだろうと監督の一人がまた増えたようデス。
東京五輪映画の監督だとか総監督とからしい。。 さぞかし難解な映画になりな気がしてならない。
観客動員は左程期待できないだろう。。、興味のある人は既にネット系でチェックしてるのが、今流だと思うデス。