中国ビジネスマンのフットワークに、現代の日本ビジネスマンは敵にもならないだろう。
ウクライナ戦争で、侵略者の烙印を押されたロシア、歴史的例のない過酷な経済制裁で2月には、近未来でのロシア経済破綻が秒読みと識者の発信を取り上げたのが、3月7日だから、まだ18日しか経過してない中、今度はその崩壊をリスクオフとして、西側ビジネスマンは潮がひくような撤退をしたと、連日のネット空間に露出する多数のコンテンツが伝えて中、中国ウォッチャーの近藤大介氏が、ライバル不在の市場で、従来の4倍になる売上を中国企業が達成した事を発信しました。
さもありなんと思うkazanです。
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中国のネット系通販サイトに、"Aliexpress"が有名ですが、他にもロット売、つまりロットの卸専用のサイトもあり、Aliexpressの存在には一目を置いているkazanです。
理由は、DIY派の自分にとって、台湾市場での商品購入環境は幾つかの点で、あまり利便性にはほど遠い環境であり、必ず、中国サイトを並行して購入計画を立てることを旨としてます。
・価格
・品揃い
が半端ではありません。
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チョット昔話
信じられないような環境に驚かされますが、その衝撃は、20世紀の終わり近い頃、初めて、錦糸町駅の斜向いの西武百貨店(今は錦糸町PARCOか?)の中のテナントの一つに、「百均」の店があって、横網町に住む、知り合いに誘われた事がありますが、あの時の中国で製造された百均商品の種類を見た時に重なります。
中間資材としての、いわゆる部品、部材になる商品、OEMの半製品、完全な最終商品と、よくまあこれだけの出店モールに供給者が参入するものだと、自分の思考回路が壊れそうになります。
しかし冷静に考えれば、1992年11月に平成天皇皇后両陛下の中国訪問以降、完全に死にかけていた世界の工場としての中国市場は奇跡的な回復どころか、信じられない位の飛躍を遂げたのでした。
複雑な構造の機械的部材は、日本から供給され、完成したのが、イミテーション、OEMと蔑まされても、世界でそこそこ通用する製品の商品化が成功した結果です。
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その驚嘆な例が、日本の百均マーケットへの所品供給であり、ハイスペックな電子商品の殿堂になった深センであり、イタリアの伝統的ブランドのバッグメーカーへの労働供給であり、今では完全にOEMメーカー、あるいはサードパーティーメーカーとして集中したところがイタリアのミラノです。
つまり、kazanが錦糸町で、価格ショックを受けたのが20世紀の終わり2年か3年前とすれば、失われた30年の7年か8年目の中国の供給力と価格パワーに驚かさせた時と言えます。
結論を言えば、あらゆる分野で、中国の後塵を拝するような日本になった今、日本のビジネスマンは、発展途上国で、丁々発止、切った張ったの商売はできなくなったということなのでしょう。
気がつけば、鼻息の粗い商社マンが、貨物船ライナー会社が日本社会に埋没したり、消滅してましたということです。 今のロシアは、戦場と背中合わせの環境に、プーチン・ロシアのクレージーな采配で、経済市場としては荒廃の渦中にあると想像可能です。
戦争・騒乱リスク、経済リスクから退避完了した日本ビジネスマンを非難する気は毛頭ありませが、このような逆風の北風が吹き荒れる市場でなら、この混乱に乗じて利益を収奪する中国企業に、西側はもはや彼らのライバルにもなれない状態だという様子が伺えそうです。
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