日本のバブルがコケた頃から、やたらと目立つようになったのが、NPOとか非営利法人じゃない?
NPOは広義では非営利団体。狭義では非営利で社会貢献や慈善活動をおこなう市民団体。
それもそのはず。
1998年3月に成立した特定非営利活動促進法により法人格を得た団体とWikiにあるから、kazanのバブルがコケた頃の印象はドンピシャに。
1998年は、1995年郵政解散で、小泉チルドレンが大挙当選し、小泉内閣の鼻息の荒い時代。
ちなみ、何年か過去の日本の何かの事象を検証する時、自分の記憶をたどる時と、メモや、過去のブログを見るとかなりリアルな状況が浮かびあがり、便利です。
ここで余談
小泉氏は無役時代、1980年代は、衆議院赤坂議員宿舎にいたと思う。 外堀通りの日枝神社の鳥居を背にして赤坂一ツ木通りにT字路で向かう一角のビルの二回にある居酒屋で一人で飲んでいるのをよく見かけた。 一度はカンター席で隣り合わせになったことも。。
結構目立つ政治家が、100メートルも離れていない、いくつかの黒塀に囲まれた料亭にいくような様子も無く、そのような縁で、当時は好感を持っていたものだが。。
それはさておき、時代が見えてきたので。。
非営利法人ナンチャラ財団ですが、kazanからみれば、どうも胡散臭い。ひょっとしたら原型は「生協か?」とも思ってしまうほど、一見、消費者、市民、社会には結意義な存在のように見えるから、kazanの今の解釈では、「胡散臭い」存在。
「胡散臭い」は「偽善的」につながる、最後は「左翼・リベラル」に、薄っすらとつながるように思えるから不思議な現象だ。
米国のこの種の財団は、医学、医薬、大学といった教育研究機関への寄付行為が主目的なっているが、問題はここにある。
州によって異なる、税制上のメリットがあり、難病の克服、医薬品の開発を唱えば、これを避難する人、存在は少ないのが普通だ。
つまり平和、人種差別繁体、自然環境保全、健康、などは、これを否定する存在は、基本的にありえない。
これが、左翼のレトリックで、弁証法を駆使して組み立てた共産党宣言と資本論といったマルクス思想の原点になり、巧妙に資本主義社会や伝統的社会を脆弱化するために静かに浸透する彼らの行動、思考そのもだ。
さらに米国社会は寄付文化が定着しており、寄附行動ができる人は社会的な評価勝ち取れる。
財団がある製薬会に寄付を、財団のバックドアか関係者が、寄付先のプロジェクトの
成果が見えてきた頃、そこに投資をする。 この投資は、時には巧妙な仕組みの中で、表沙汰にならないインサイダー取引とし、巨額の利益を得る。
なんとなく見えてきた光景と仕組みだ。