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記事は、昨年2021年9月20日のweb版/ JIJI.COM で古い記事を取り上げることに少なからず、抵抗を感じながらキーボードを叩いております。
前投稿で、岸田総理を3%の。。と揶揄したばかりですが、その記事で言いたいことの20%は発信したつもりですが、あの総裁選を見て、返すがえすも、自民と国会議委員の政治感覚のお粗末さは、55年体制と何らかわらないという印象を改めて認識しました。
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つまり、一般の国民ですら、現在はメディア情報より、世界、世間、政界、社会の濃厚な情報が豊富に、頻繁に、タイムリーに、容易に入手可能な時代ですが、永田町の風土は55年体制と基本が変わっていないですね。
そして、敢えて言うなら、55年体制の一方の主役が、現在の議会で2名を数えるだけの存在なり、もう一方の主役が、公明党とか言う政治的に正体不明でアイデンティテイすらどうなのか不明な政党に侵食されたという現状があります。
そんなことなら、70年代の三角大福時代までの金権体質がモロダシの政治風土のほうが理解しやすいじゃないかという思いすら排除できないでいます。
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なぜなら、あの総裁選で、初めて高市候補の発信を聞いた時、「これほど、明快に本音と建前を融合させた発信はあまりにも強烈で新鮮」と感じたし、この強烈で高品質な発信なら、
・近年の政治風土での金権体質はその金額がとても身近なセコい金額になっていること
・中身はアナログ系で、見た目はデジタル系もどきの情弱議員でも、あるいは現実の政治的困難を理解してるタコ議員でも、高市市の明快な発信は、容易に理解、共有される
この2点からして、第一回目の得票は、もっと多いハズと期待したものだったが、結局、投票結果は期待からほど遠い内容でしたデス。
そのタコが押した総裁が組閣した内閣でメリハリの聞いた閣僚の数の少なさに、「神輿が軽くてアホなら、足腰の貧相な担ぎ手で用がたりる」という言い尽くされた道理を嫌というほど見せつけれた思いがしてなりません。