実は8ヶ月ぶりにNHKにチャンネルを合わせ、大相撲中継を視聴しました。
忌々しいNHKですが、。。
千秋楽ということもあり、2時間ばかりの視聴でしたが、フル入場の観客席を制限しての大相撲は、TV画面をみてても、リキ(力)が入らないデス。
横綱不在の千秋楽で、勝ち残りというか、優勝の予想ラインが三敗とか四敗の星がついた二桁白星の力士同士となると、空気も白けている様子が画面から見えてきます。
鶴竜が引退で、白鵬が休場。
白鵬の休場は素人目にもなんとなく納得ができない。
モンゴル勢が強すぎるのか、あるいは、日本勢が弱すぎるのか。。。
結果なんとも締まらない、歯抜けたような場所ではなかったか、素人目でも一言二事は容易に非難できるような場所であったように思えてきます。
大相撲でモンゴル勢が顕著になり、躍進したのは、平成時代からだと思えば、ここにも日本の何かが大きく変化した様子が見えるような。
日本経済を語る時の評論家が「失われた20年」とか「失われた25年」とか言う時期と妙に重なることが気に掛かります。
思えば25年の始まりは日米半導体戦争で日本が完敗し、その後、日本の物作りの象徴でも合った、家電は沈没、産業の生産拠点の圧倒数はちゃん国に移り、機がついたら、マスクの原材料素材も生産ラインも日本から無くなっていた。
つまり日本の鉱工業産業の牽引力であり、強力なシンクタンク的官僚組織である通産省を例えたような「官僚たちの夏」が秋になり冬になったこととも重なります。
いいうなれば、かって活気のあった地方都市と同じ現象が、国家規模で起きていたようなもので、その顕著な極みが、この20年、25年の大相撲界に重なるとなれば、心中穏やかざるものを感じてしまいます。
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自身を見ても、外で飲む酒のスタイルがこの間に、見事に変わり、浅草観音裏手の花街・花柳界界隈と言えば聞こえはいいもの、お座敷とは無縁の日常的な下町のスナックに変わり、そこでの主流は、どこでもジンロのボトルがキープの主役に見事に変わっていたことにも気が付きます。
今となれば、このブランドは忌々しいとある国のものと思えば、その辺の事情が切なくなるし、的確に時代に対応してたことに驚きます(汗)