人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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五井先生がご帰神された時、皆の業を一緒に持っていかれたというのは本当か

2011-09-03 11:06:13 | スピリチュアル
 まあ一つ言えるのは、私は嘘つきじゃない
ということですね。
 五井先生が亡くなった時に、つまり昌美がね、
五井先生が全部あなた方の業は持って
行きましたと。
 だから、あと残ってるのは燃えかす
みたいなもんで、皆救われますよ
という風な言い方をしたと。ところが、今の
白光真宏会は、そういう言い方よりも、
むしろね、あなた方が神の子の自覚が
少なすぎるから、いつまで経ってもという
言い方をするけれども、それだったら、
五井先生は持って行ったというのは、
あれ嘘なんですかという質問が確かあった
と思いますがねえ。

 五井先生は嘘は言わないんです。どこかの
総理大臣じゃないけどね、五井先生は本当に
嘘は言いません。業は持って行ってるんですよ。
 ところがね、業というのはね、先っきの話
じゃないけども、つくろうと思えば、
いとも簡単に出来るんですよ。みんな楽な方に
行きたい、皆苦しまない方に行きたい、
辛い人生を送りたくないと、皆思いますよね。
 だから、そっちの方に行かないようにして、
皆努力して生活してるにも関わらず、何か
家の中も職場もね学校も、何かいやな事が
起きてね、夫婦生活もうまく行かないとかね。
自分なんかもぐちゃぐちゃ思うし、何か
そんなことを考えると、それはあなたの心が
悪いだなんて、私が生きてる時は、そういう
言い方はしませんと言って来ましたね。

 ところが、今の白光は、ちょっとそうじゃ
ありませんかという質問ですけど、とに角、
一つずつ分けて言いますとね、先っきも
申しましたように、業というものは、いとも
簡単に、人間の想いというものによって
つくってゆける。
 で、想いによって出来るのは、業だけ
じゃないんですよ。神界なんていう所はね、
神界でも霊界でもそう、この世の中でも
本当はそうなんだけれども、つまり、皆の
想いが現れて来たものがこの世界なんです。

 例えば、向こうの世界へ行ってね、この人と
仲良くなりたいなあと想うと、たちまち本当に
仲良くなっちゃう。ところが、あの人に会いたく
ないなあと想うと、その人が出て来るとかね。
最初のところの霊界のとば口と言いますか、
そういう何か修行させられるような時には、
そういう会いたくない人にすぐ会うとか、
その想いがすぐそのまま実現するというような、
そういう世界になっていく訳なんです。
 それは、何の為にそれをくり返すかというとね、
そういう事を通して、自分の本心、本体という
ものが、どれ程霊妙に出来ているか、神様の愛
によってつくられているか。自分は器じゃない
とか何とか言ってる場合じゃなくって、自分の
本当の姿をのぞいた時には、どんなに輝いて
いるかということ、それをいやでも観せられ
るんですよね。それを観る訓練させられる訳
なんです。その為に、色んないやな人に会ったり、
又逆なことがあったり、すぐそれが目の前に
出てくるというのはそれなんです。
 ところが、この世の中というのは、時間的な
余裕がありますから、会いたくない話したくない
と想えば、断わることだって出来るし、電話を
切ることだって出来るし、絶交することだって
出来るし、色んなことが出来る訳ですよね。肉体は
そうやって出来る、この世の中では出来るけども、
本当の意味で出来ないというのは、その想いがね、
結局切れてない訳なんです。想いはいくらでも
交通してる訳なんです。目に見えないだけで。
 この世の中だって、霊界のつづきなんで、
一続きなんで、結局、霊界もこの世も一緒
なんですよね。同じ空気とは言わないけれども、
霊界の一部がこの世なんですよ。

 ということになると、その想いの貯金
といいますかねえ、どういう想いを自分の中に
積み重ねて行くかということによって、それが
いわゆる業といいますか、カルマといいますか、
そういう悪い方の業になっていくか、そう
じゃないかというので、随分と違って来る訳
なんです。
 ところが、そこに人間の弱さもろさという
ものがあって、先っきも言ったように、
そっちの方へ行きたくないんだけれど
行っちゃうとか、行かされるとか。とてつもなく
苦しい所へ来ちゃったとか。そっちの方へ
行かないようにするけれども、ところが、これは
非常に難かしいところなんですがね。行かない
ように努力しているのにという事の中には、
つまり、行かないようにしたい、恐怖だから、
いやだから、あそこだけは避けたいと思って、
ひたすら逃げる心で、それで何かやってるように
なっては、それはもう業を引き寄せるのと
一緒なんですよ。

 そこがねえ、人間というのはね、非常に
難かしいんですよね。肉体を持ってると、
そんなこと言ったって、五井先生、いやなものは
いやなんです。というのはこれは感情としては
分かるんだけれども、しかしね、仕組としては
そうじゃなくて、やっぱり、ああ想っちゃった
すいません、よろしくお願いしますと言って、
パッと想いの転換をする。
 そういうことによって、一瞬業になっても、
業というものは軽くなって、消えてって、ついに
消えていくという、そこの、信ずるというか
信頼するといいますかね、任せるといいますか、
その信仰というものが強いかどうか、ね、そこが
人間のためされるところなんですよね。

 そこでもう一つ言えば、今、白光が伝えようと
している、つまり、あなた方は神の子なんだよと。
これも言い過ぎるとねえ。確かに、講師の性格
とかね、色んな人の性格によって、押しつけに
聞こえたり、色々に聞こえるんですよ。それで、
実際に本当に苦しんでる人とかね、もう本当に
そうは思えない状況の中にいる人達なんかね、
ため息ばっかりですから、想えって言う方が
無理だ、それは分かるの。
 だから、想えという方が無理だから、
この消えてゆく姿があるんだけれど。今、
消えてゆく姿よりも、神の子の方が
というのはね、実際に世界そのものが、本当に
ものすごい勢いで変わっていってるんですね。
 例えば、あのイランにしてもイラクにしても、
国連で平和のセレモニーがあるということにしても、
それは何を意味するかといったら、この世界人類
というか、世界の中の空気というものをね、平和な
ものにして行かなきゃなんない。平和なものに
又なってゆく。そういう時期なんです。今はね。

 だから、皆が、そんなこと先生言ったって
出来ませんよと言ってるんだけども、先っきも
何かの話の中で私が言いましたようにね、
自分自身の肉体世界における状況は、ものすごく
辛いんだけれども、あなた方の中に隠れてる、
霊妙な体の奥の奥のね、悟ってる体というものが
あって、そこのところが実は、パーッと働いて、
光になって、あなた方が苦しんでいても、たとえ
病気で寝たきりになっていても、そのあなた方の
光が光明がね、世界中駆けずり回って、そういう
空気をつくっていく。そういう役割をあなた方
自身がね、見えなくともやってるんだという
事実をね、それを伝えたいと思って、今、みんな
講師の人たちがやっきになってる訳ですよ。
 ところが、伝え方がへたなんだな。やっぱり、
皆のそれぞれの苦しみというものを、充分
認めなきゃいけない。認めなきゃいけないけども、
苦しいばかりが人間じゃないということです。
 つまり、私の言う人間というものはね、本当に
小さくにもなれば宇宙大にもなるもんだと。
 前に言ったことあるでしょう。植芝先生が私を
訪ねてみえて来られた時にね、五井先生私は宇宙
ですと、私も、植芝先生私も宇宙ですよと。
 その時に居た斉藤さんが、宇宙と宇宙で何の話を
してるんだと、ねえ、すごく怪訝(けげん)に思った
という話があるけどさ、それは何を言ってるか
といったら、それ程人間というものは、神様の
本来のその愛というものに包まれた、無限大に
本当に深い大きな存在なんだと。だから、本当の
人間というものは、宇宙よりも大きく深くなるしね、
ミクロよりも小さくなる。

 私がいつも言いますように、霊界というところは
伸縮自在で、たとえ地球全部の人が一度に死んだ
としてもね、そんなことは有り得ないですよ、
有り得ないけど、霊界では人口がどうのこうのと、
そんなことは問題じゃないんです。霊界というのは、
もう自由自在なんです。
 人間は、肉体持ってる間はものすごく不自由
なのね。肉体持ってる為に、家を建てたり、ここへ
住んでとか、土地のこと財産のこと、色んな
しがらみが出てくるし、肉体を養わなきゃならない、
家族を養わなきゃと、色んなことが出て来て、
そして動きがとれない。ところが、死んじゃうと、
自在身でしょ。何処へでも行ける。だから、本当に
色んな働きが出来る訳ですよ。
 ところが先っきも言いましたようにね、人間と
いうのは、肉体を持っていても自在に動きまわれる。
 それは距離だけじゃないんです。色んな人の心の
中に入って、光を燈すことが出来る。そういう体を、
深いところで、あなた方みんな持ってるんですよ。

 私なんか先生、私なんか役に立ちますか、私
なんかお役に立ちませんから、どうぞ他の人を
求めて下さい。私なんかって、そんな
引っ込んじゃあ駄目なんですね。何故かというと、
皆平等に公平にそれを持ってるんですよ。あなた
だけが持ってるんじゃない。皆持ってるんです。
 肉体の力量というか才能というかね、そういう
所だけでみちゃうと、そんなに輝いてるものが
あるなんて言ったって、肉体の人間の我から観れば、
そんなの私の中にある筈ないと思っちゃうから、
否定してしまうけども。否定しきれない
というのはね、ほらあなた生きてるじゃないですか。

 生きているその根元は何かというと、神様からの
光ですよ。その光が来て、あなたはその光に
養われて生きてるわけ。だから、その光の元を
あなたが体の中に持ってるとしか、私は言いようが
ない訳ね。皆それ持ってるんです。
 だから、その持ってるということをありがたく
思ってね、そして、その用い方、用いられ方という
ものをね。自分がどうしょうとか、こうしょうとか、
こんなものもらっちゃってとか、私にもらったって
どうしょうもないとかね、そんなこと思わないで、
一旦もらっちゃったんだから、あるんだから、
謹んで受けて、そうして、それをどう使って
下さるかというのはね、これは、我々は神様
によって生かされてる生命なんだから、それを
一旦神様にお返しして、何も生命をとると
いうんじゃないんですよ。その使い方を神様の方で、
どういう風に生きた方がこの人はいいか、
どういう風に進んで行った方がいいか、ここで
結婚させちゃった方がいいとか、ここで結婚
させないで独身を通してね、芸術家になった方が
いいとか、この辺でデザイナーになった方がいい
とか、そういう事というのは向こうの方で
決めるんです。
 だからね、色んなものをもらっちゃって、私こんな
ものもらっちゃって分不相応でなんて、言ってる場合
じゃないんです。場合じゃないっていうことをね、今、
白光真宏会は皆に伝えたくてね、心あまって
言葉足らずと言いますかね。

 しかしね、人間の中には、苦に把われるね、
昔ながらの我をつくしちゃう、どうしようもない
肉体想念といいますか、そういう想念の世界、
我の世界、業をつくりかねない世界もあるけれども、
一方で、あなた方は、肉体を持ったまんま、自在に
色んな所へ自分の光を、実際にふりまいている。
 そういう力を持っている。
 人間というのは、その色んな所へ光をふりまく、
明るい想いをふりまいて、自分も人も尊敬して、
生命を尊んで、この世界を平和にしてというのが
人間の真性ですから、そっちの方を磨いていく、
見つめていくという事が大事なんです。それは何も、
現実の苦しみ、悩みだとか、自分の子供のことで
死ぬ程私は悩んでいるのに、その悩みを無視
するんですかって、そうじゃないんですよ。
 さっき申しましたように、その悩みであろうと
苦しみであろうとね、神様というのは、守護霊さん
守護神さんというのは、それを必ず向こうで
良いように使って下さるわけ。だから、皆が
把われているのを放っておくというのではなく、
必ずね、この世の中で使って下さる。
 この世の中で良いように使って下さる。この
世の中で駄目だったら、次の世の中で使って
下さる訳なんです。

 だから、その事をね、きっちりと自分の中へ
たたき込んで、そうして、自分は生き通しの明るい
神様によって守られてる生命なんだ、だから、
その明るいすっきりとした生命になる人間が
多くなるように、多くなってゆくように、
五井先生が肉体を離れる時に、皆さんの業
というものは皆持って行って、洗い浄めて、
今燃えかすしか残ってないというのは、それは
その通りなんですよ。その時みんな業を
持ってっちゃったんですよ。
 だから、その業というものはね、もう
ふり返らなくていいんです。確かにそうなんです。

 その後というのは、やっぱり皆の想いぐせ
ですよね、いつも私が言う。私なんてどうせ
とか、私がやったってこんなことはなりっこない
とか。ね、それから、変に責任感じたりとかね。
 色んなその人の性格のね、個性といいますか、
その現われ方によって、何か苦しみがそこへ
生まれてきちゃう。それが業になってくる。だから、
業というのはね、消すのは大変なんですよ。本当に
消すのは大変なんだけども、つくるのは本当に
すぐ出来てしまう。
 だからね、皆そういう弱い自分の、人間の体と、
本来の人間の奥深い、神様の光に満たされた神性の
体と、両方持っていて、そうして、今はその
神性の方の体を自覚せよと言っている。何も
現実の部分を軽視する訳じゃないんだけど、
そっちの想いの方よりも、むしろ、この世の中の
空気を明るくしてゆく為に、あなた方の想いを
光にかえてやっていくという事が、今大事なんで、
その為に白光が、色々言ってるんだということを
理解していただいて、そうして、それでもやっぱり
悩みは悩みですから、それは軽蔑しないで、私は
ちっとも軽蔑しないから。
 そんなこと言ったって、私はくだらないことしか
想えないし、今こんな事がしんどい、あんなことが
辛いんだというのは、そのまま出せばいい
じゃないですか。そのまま私が光に変えますよ。ね、
自分の中に神の子なんか思えないとか、神のことは
思えないとかね、その決めつけだって把われ
なんです。業なんですよ。

 だからね、そんなことはないんだから、そういう
色んな想い一切、良い想いも悪い想いもね、
湧いてくる思いというものは一旦認めて、うん、
よしよしとしてやって、残るものは残して下さい、
消すものは消して下さい。消えてゆく姿でよろしく
お願いします、五井先生よろしくお願いします
と言ってしまうと、残るべきものが残ってね、
働くべきところへあなた方がちゃんと働くように、
こちらの方で、コースはちゃんと指定が
出来るようになっているんです。この人に
こういう所でやってほしい、働いてほしい、
行ってほしいというのはある訳なんですよ。

 だから、そういう神霊が、皆さん方の為に
用意している人生の、この生命の永生のコースを、
ちりがあまり積もらないように、自分の中の想いを
もう一度見渡して、そうして、色んなものが
あっても構いませんから、それをすっきりと、
もう一度私に渡し直して、そうして、自分の中の
弱い部分もたくましい部分も全部認めて、その上で、
人間の真実の本来の生命にむかって進んで
行けるように、祈りを重ねていって欲しいと思います。
     
             昭和63年7月22日