人は、ふるさとびと

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下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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人間神の子論は暗示になりやすいのでは

2011-09-04 11:14:18 | スピリチュアル
 これは、非常に大事なことなので申し上げますけど、
人間神の子論ですがねえ、これは、私が生前から
言ってますようにね、人間神の子というと、それを
お題目のように唱えて、いやそりゃあ本当なんですよ。
人間は神の子なんですもの。人間は
分霊(わけみたま)で分生命(わけいのち)で
来てるんだから、神の子なんだけど。
 例えば、それだけを追って、ずっと言って、それが
出来ないのは、お前の心が悪いんだ、お前の
心がけが何とかという風になっちゃうと、それが
責めることになる。人間の今の現実の状況
といいますか、人間の心の状態、有りのままの
自然な状態、それを認めないことになる。
 だから、私はそこに、人間神の子だけじゃなくて、
世界人類が平和でありますようにという、あの
世界平和の祈りを出したし、神様のお約束によって、
祈りと教義を出した訳ですよ。
 それでね、〇〇さんが言ったのは、神の子の
自覚が足りないと。あの人もまだ足りないんでね。
 何が足りないかというと、説明がもう一つ、
こういう事が加わらないと駄目なんです。
 つまり、神の子として、みんなが自覚をし
深めなきゃあいけないというのは、私が先程から
申しましたように、この世界の空気の流れと
いうものが、もう本当に切羽詰まって来て、平和の
方へ転換して行かないといけない。その為の
空気づくりをしないといけない。だから、人間の中に、
そんなこと出来るかしらという業を抱いてしまう自分
と同時に、人間の神性がある。光り輝く自分がある。
 それを自覚して欲しいということを、白光が
言ってるんだと。
 それだけじゃなくてね、もう一つ言わなきゃ
いけないのは、世界人類が平和でありますように、
日本が平和でありますように、私達の天命が完う
されますように、守護霊様守護神様
ありがとうございます、というあの世界平和の祈り、
そして、あの教義ですよね。あれが、人間神の子の
自覚の根底になかったら駄目なんです。祈りという
ものが根底になかったら、人間神の子は単なる
暗示になっちゃう。
 人間神の子、人間神の子、確かにね、
そう言ってれば、何か落ち着くようなことを
感じる人もいるかもしれないけれども、自分の
生活は落ち着いていないし、性格もイライラして
良くないし、こんなのどこが神の子なのかなあ
と思う。でもそれは自覚が足りないからだという。
 それだけじゃあ駄目なの。それだけじゃあ、
やっぱり〇〇さんが言うようにね、暗示になっちゃう。
 そこが説明が足りないと言ったのは、先っきも
申しましたように、世界人類が平和でありますように
という中へ、私達の想いも願いも、足らないという
想いもね、色々な苦しみも悲しみも、全部
放り投げて、そして光になっていく。光のエレベーター
である、世界人類が平和でありますようにという
この祈りを、我々は持ってる訳でしょ。ね、教義も
持ってる訳ですよ。で、いざとなったら、五井先生
という呼びかけを持っている。それは、伝家の
宝刀(ほうとう)じゃないけども、その祈りを土台に
して、そこを土台にして、私たちが神の子なんだ
と思うことは、決して暗示になっていかないんですね。
 その時に、我々は本当に、この世の中の現われが
良いものであるにしろ悪いものであるにしろ、みんな
消えてゆくものなんです。過去世からのものが
消えてゆく、悪いものも消えてゆく、良いものも
消えてゆく。そして、本当にただ一つのもの、神様の愛、
それだけが残る。そして、その神様の愛が私たちを
生かしている。その信仰と言いますか、想い
と言いますか、光の言葉と言いますか、そういう
ものだけが残るんですよ。本当のことを言えば
そうなんです。
 だけど、そこへ行くにはなかなかね、人間は肉体を
持ってますと、なかなか行けませんよ。〇〇さんが
言ったようにね、色々なことを思ってしまうし、色んな
悩みを持ってる人があるね。先程の話じゃないけど、
交通事故にあう人もある。その時に、人間神の子の
ことを思えと言ったって、なかなか思えないです。
 それだけでは強迫になっちゃうし、強制に
なっちゃいますよ。
 そうじゃなくてね、人間は本来神の分霊である
というあの教義ね、そして、消えてゆく姿という、
一番の消しゴムを持ってる、人類の業を消す
消しゴムを持ってる、あの教義と祈りというものを
根っこにしていく。私たちの肉体はそうは思え
ないけど、我々の真性は、本当のところは神の子
なんだと。そうらしいと。だから、五井先生がそう
おっしゃるんだから、昌美がそう言われるんだから、
一回、自分の中を統一してみよう、祈ってみよう、
ね、五井先生の口笛に柏手に、その想いを流れに
乗ってみようとね。その想いを呼び寄せてみよう。
 すると、そこの家人になるんです。
 私が生きている時に言いましたようにね、
守護霊さんを想っていると、守護霊さんの世界に
行くと言いましたでしょ。それと同じなんですよ。
 そこの世界へ行くんです。だからね、苦しいと
想ってる時は、その苦しいという流れの世界に
行くんですよ。で、あなた方が皆ね、大変だ苦しい、
これは困ったどうしようかというのは、それは確かに
現実の色々なことが迫って来て、苦しいというのが
あるんだけれどもねえ、その苦しいなら苦しいの
想いの中へ入って、先っきも申しましたけどねえ、
その世界へ連れて行かれる訳ですよね。
 自分の中の本体が行きたくないのにね、光の方へ
行かないでそっちの方へ行くから、自分の中の
ものが詰まっちゃって、もう息苦しくなっちゃって、
何とかならないかなあっていう、そういう想いが
一杯出てくる訳です。
 やっぱり人間というのは、先程申しましたように、
光の自分も持ってるわけ。そして、本体はこっちな
訳ですね。人間神の子なんです。しかし、そうは
思いにくいから、色々教義だとか、世界人類が
平和でありますようにと言って、個と人類がね、
同時に救われる、この祈りの中へ自分を入れて
しまって、そうして、無心になって祈って
いく内にね、人間神の子が宣り出されてくる
訳ですよ。ああ神の子になったなあって、
そんなもんじゃない。本当に自然に光明体に
なっていく訳です。目には見えないけど。
 祈ってる時に、あなた達は皆光の子なんですよ。
 神様の子なんです。その本来のものがこちらから
すると、祈ってる時にみんな観えてくる。世界平和の
祈りをおいといて、教義をおいといてね、祈ると
いうことをおいといて、人間神の子、人間神の子
といっても、そりゃあ無理なんです。
 我々に一番大事なのは何かというと、それは祈り
なんです。祈るということを離れたら、我々は何にも
出来ない。祈りは、神様と我々を結びつける。神様の
愛と我々の愛を結びつける。神様からいただいて
いる、我々の中にある色々なおもいやりだとか、
肉親への愛情だとか、子供への愛情だとか、師弟の
愛だとか、色んな愛がありますよね。それだけじゃ
なくて、それを世界人類に広げてゆく。
 そういう神様からいただいてる大きな恵み
というものを、もう一度自分の中に、何て
いいますか、振り返ってみてね、そうして、暗示
だけに終わらないように、今、白光は、勇ましくして、
何とか世界人類全体の業といいますか、そういう
暗い想いというのをはね飛ばさなきゃいけない為に、
色々行進をしています。
そうすると、砂埃がたってしまって、その砂埃が、
弱い人たち悲しんでいる人たちの中へ
入っちゃってね、そういう苦しんでいる人のところ
にまで、なかなか目がいかなくて、その辺が
申し分けないと思っているけれども。
 結局、人間神の子は暗示にならないかというのは、
真理としては暗示にならない。ね、真理としては
その通りなんです。これは、私が言ったのも、
生長の家のあの先生が言ったのも一緒なんですよ。
 一緒なんだけども、あの先生の時には、あれは
精神分析になっちゃった。人間は分析出来きれない
ものがある。何故ならば、人間は神様から来てる
生命なんだからね。
 それに対して、ありがとうございますと言って、
感謝の気持ちがないと、分析しちゃったって
どうしようもないんですよ。だから、その感謝の
おもいをかえしてゆく、往相と還相でかえしてゆく。
 この現実の世の中のこの生活を大事にしてゆく。
 想いを大事にしてゆく。ありのままの自分を大事
にしてゆくということと同時に、神様の世界を思う。
 そうして、霊界で働いている人々のことを思う。
 そのことが霊なる生命の、我々の奥の光明体を
発展させてゆく。そうして、自分の光を増してゆく。
 そうなってゆくんだということを覚えてですね、
そうして、我々は本当に神の子なんだという自覚を、
さり気なく深めて行って下さい。

             昭和63年7月22日